勝つときは汚く 負けるときは美しく

ふと気がつくといつも似たような話をしているので書き留めておきます

【謎解きジオン①】グフはザクとは違うのか?完結編

 宇宙世紀に生きる者なら誰でも一度は抱く疑問にガチンコで挑む不定期連載企画【謎解きジオン】。第1回は「グフはザクとは違うのか?」です。中編はこちら。【謎解きジオン①】グフはザクとは違うのか?中編 - 勝つときは汚く 負けるときは美しく

 

地上でMSはいかに戦うべきか

 一年戦争初頭、ジオン公国軍はMSザクを投入して地球連邦軍を圧倒したが、短期での戦争終結には失敗し、3度の地球降下作戦を実施して戦線を地上に拡大した。

 しかし本来空間戦闘兵器として開発されたMSの戦闘ドクトリンは無重力かつ真空の宇宙空間での対艦戦闘を想定して立案されたものであり、その点では重力下での地上戦でMSがいかに戦うべきか、実は明確な運用思想があるわけではなかった。例えば膠着した戦況では本来機動兵器であるMSが拠点防衛に配置され、実質砲台と化してMS本来の優位が失われてしまうといった齟齬が生まれていた。それでも重力戦線においてジオン軍連邦軍と拮抗できていたのは、コロニー墜としの損害による連邦軍の指揮命令系統の混乱、初戦の劣勢による士気低下といった要素が大きかったと考えられる。

 

一撃離脱の戦闘ドクトリン

 もともとザクの戦闘ドクトリンは、ミノフスキー粒子散布によって電子誘導兵器が無効化された連邦軍艦艇を攻撃する意図のもとに設計されていた。

 前衛2機と後衛1機の計3機を編成した一個小隊を戦闘単位とし、>字の隊形をとって、マシンガン装備の前衛2機が(南極条約以前は戦術核弾頭を装填した)バズーカ装備の後衛を護衛しつつ、艦船の対空火器や迎撃機などの対空防衛網を掻い潜って目視距離まで接近、後衛が擦れ違い様に艦橋や機関部などの艦艇中枢にバズーカを撃ち込み、今度は<字型の隊形をとって離脱する。

 ちなみにこの>字型の隊形をさらに一直線にしたのが黒い三連星独特の戦技、ジェット・ストリート・アタックである。直線状に並ぶことで敵艦に晒す被弾面積を最小化し、また前衛を1機(通常はガイア大尉)とすることで後衛の2機が敵艦艇への近接攻撃に専念することができる。3機が一直線に並んで高速機動する操縦技術、1機で前衛を務める戦闘技術と判断力、そして相互の連携と、黒い三連星の高い練度を以って可能な戦技である。

 これらはAMBACによるMSの空間機動力、ミノフスキー粒子散布による有視界戦闘の強要といった戦術的条件を前提として、圧倒的な連邦艦隊の火力に対抗するためにジオン軍が練りに錬った戦闘法であり、緒戦の華々しい戦果は決してMSの兵器としての優位性だけに依存していたわけではない。そしてこの戦闘ドクトリンをみても分かる通り、見た目の印象をやや裏切るかもしれないが、宇宙空間でのMSは旧世紀の海戦における急降下爆撃機雷撃機に近い兵器なのであって、完全に一撃離脱をコンセプトとしているのである。

 

重力戦線の危うい均衡

 ところが、地上に降りたザクは重力と大気という制約を受けるので、そもそもの戦術的条件が実は全く変わってしまっている。それによってザクは戦車あるいは歩兵に近い存在となり、その兵器的性質は宇宙とは全く異なっていた。

 地上に降りたザクを評価するならば、連邦軍61式戦車やフライマンタ戦闘攻撃機などの主力兵器に対して優勢な火力と装甲、索敵・中長距離での砲撃戦・近接距離での白兵戦等、さまざな作戦目的に単機で対応可能な汎用性など、依然としてパッケージとしての完成度では他の追随を許さない兵器ではあった。なによりも、ザクは初戦のジオン軍の快進撃を支えた象徴であり、彼我の兵士に与える心理的影響、戦場における存在感は絶大だった。ただしそれは宇宙での空間戦闘のような戦術優勢とは異なり、ザクの存在は地上では決定的な戦力差とは言えず、重力戦線の均衡は多分に流動性を含んだものであった。

 連邦軍がMSの戦力化に成功することは、彼我の心理的バランスが変わり、一気に地上でのミリタリー・バランスが崩れる可能性を意味していた。したがってジオン軍首脳部は近い将来に必ず連邦軍がMSを投入してくるという前提でMS戦略の再構築を迫られていた。問題は、連邦軍のMSがどのような戦略で投入されてくるか、である。

 

少数精鋭を予測したジオン軍

 推測ではあるが、ジオン首脳部は連邦軍のMS戦略はハイスペック・ハイコストな高性能機の少数投入になると考えていたのではないかと思っている。

 そもそもジオン公国はザクの開発によって開戦を決断できたのであり、緒戦の戦果の多くをザクに依存している。したがって後発である連邦軍が、単機の性能比較においてザクよりも劣るMSを新たに投入することには戦略的意味がない。必ずザクよりも高性能な機体を開発した上で戦線投入してくるはずである。そしてジオンが地上にまで喰い込んで進出している以上、MS同士が戦う当面の戦場は重力戦線となる。

 連邦軍のMS投入が恐らく規模としては少数に留まると予測するには、いくつか根拠が挙げられる。まず工業生産力の問題である。圧倒的な国力をもつ地球連邦は、当然生産力においても大きくジオンを凌駕しているはずではあるが、全く新しい兵器を大量に生産するには素材調達や部品加工、流通なども含めて膨大な生産ラインの再構築が必要だろう。コロニー墜としによって工業インフラ自体が甚大な被害を受けている条件下で、そのようなオペレーションを遂行するのは技術的にも政治的にも相当な困難を伴うはずである。地球連邦のなかには、緒戦の惨敗の結果を受けてもなおMSに懐疑的で、艦隊再建を優先するべきという勢力も多かったのである。膨大とはいえ有限の工業リソースをどこに集約するかというのは、戦時下においては高度な政治的判断でもある。

 また生産力よりもさらに難しいのは、パイロットや保守要員といった人員の確保だったはずだ。戦争において最も重要な資源は人間である。兵器は工業資源さえあれば生産できるが、訓練された兵士を錬成するにはどうしても時間が必要である。この点では人口の少ないジオンも慢性的に苦労して「ジオンに兵なし」などとレビル将軍に言わないでもいいことを言われていたわけで、仮にMSの大量生産が可能だったとしても、全く新しい兵器体系に適応した兵員を短期間で錬成するというのは極めて難しいと考えていたはずだ。そもそも連邦軍にはMSの訓練過程すらまだ存在していなかったのである。

 また兵器と兵員が揃っても、それを既存の兵器体系とどう組み合わせて運用するのかといった問題もある。このようにジオン軍が先行していたのは兵器開発の分野だけではなく、人的リソースや運用設計といった分野でも連邦軍は全て新しく用意しなければならなかった。

 

連邦軍のMS戦略

 これらの諸条件を考慮すると、連邦軍のMS戦略は恐らく既存の兵器体系のなかにMSをどう統合するかという方向で考えざるを得ず、主力はあくまで戦車や戦闘機などの通常兵器で、そこに少数のMSを統合した諸兵科連合になるはずだとジオン軍首脳部は考えたのではないだろうか。

 恐らく戦場では既存の通常兵器で対抗しつつ、ザクに対して相対的に優勢な高性能MSをピンポイントで投入して、全体としてはMSの優位性を相殺していくという戦略を予測したのではないかと思う。

 実際、試験的に先行して導入されたRX-79[G]陸戦型ガンダムやRGM-79[G]などは、量産機とされながらも、のちに大量配備されたRGM-79ジムより高性能な機体となっている。配備先も極東方面軍機械化混成大隊(コジマ大隊)やヨーロッパ方面軍独立混成第44旅団といった、通常兵器と連携した運用試験を意図した編成がなされていた。これらの状況を鑑みると、恐らく少なくとも当初はジオン軍は予測を外してはいなかったのだと思う。そしてこのような戦局予測のもとに地上での戦闘ドクトリンが再立案され、それに基づく新型機として開発されたのがグフだったのではないだろうか。

 

グフはザクの後継機ではなかった

 グフの評価を難しくしているのは近接距離での白兵戦に特化し過ぎていることである。推力よりも装甲と運動性能を重視した設計思想、極端に火力を絞った固定兵装など、ある意味グフをグフたらしめている要素は、全てそこに起因する。しかしジオン軍内部で考えられていた、来るべき連邦軍のMS戦略への予測を変数に加えると、グフが生み出されたロジックがみえてくる気がするのである。

 従来グフはザクに替わる次世代の主力機候補として捉えられことが多かったが、大胆に汎用性を犠牲にしたグフとザクとは全く異なるコンセプトのもとに構想されている。ザクのコンセプトは、生産性、メンテナンス効率、さまざまな改修を可能にする冗長性など、兵器としての汎用性を追求したパッケージとしての完成度の高さである。ゆえに一年戦争後もRMS-106ハイザックやAMX-011ザクⅢのような後継機を生み出し続けた。それに対してグフはMSとの格闘戦という特定のシチュエーションに特化した機体である。恐らくグフは次世代機としてザクに代替する存在ではなく、ザクとの併用を最初から意図して開発されたのである。

 

チャンバラの用心棒

 ジオン軍の予測した連邦軍のMS戦略は少数の高性能機が、謂わば「ザク・キラー」として戦場に投入されるというものだった。グフは、その「ザク・キラー」にさらに対抗するカウンターの役割を担うことを期待されて開発されたのではないだろうか。

 ここでもう一度、ランバ・ラル大尉とガンダムの戦闘を思い起こすと、ラル大尉のグフにはコズン・グラハム少尉とアコース少尉のザク2機が随伴して3機での小隊編成となっていた。戦術的には、ザクがガンキャノンガンタンクといった支援機をガンダムから切り離し、グフとの一騎打ちに持ち込むという意図があったようにみえる。そしてそれがグフとザクを連携させた新しい戦闘ドクトリンであり、ランバ・ラル隊にはグフの試作機の試験だけではなく、新しい戦闘ドクトリンの運用試験という任務もあったのではないかとみえるのである。

 グフの強みが格闘戦なら課題はいかに近接距離に持ち込むかで、単機でみたときにはそこが泣き所にもなっていた。しかしそもそもザクと連合した戦闘単位を想定していたならば、グフが接敵するにはザクの支援があることが前提となっていたはずである。だからグフは絞り込んだ仕様で設計されていたのだろう。そう考えればザクに比べてグフの生産数が圧倒的に少ないのも、必ずしもグフの評価が低かったせいとも言い切れなくなる。

 またジオン軍がビーム兵器開発において連邦軍に遅れをとっていたということもグフのコンセプトに影響していたかもしれない。新しく投入される連邦軍のMSでビーム兵器が標準兵装とされれば、グフだろうがザクだろうが火力では劣勢に陥るのである。であれば、これに対抗するには近接戦闘に持ち込んで火力差を無効化するしかなく、技倆・経験において優勢なエース・パイロットを格闘戦に特化した機体に乗せて、それを従来機であるザクが支援するという発想は理にかなっている。

 喩えるならば、グフは時代劇のチャンバラにおける用心棒のような存在として期待されたのではないだろうか。連邦軍のMSが現れたらザクはサッと退いて、グフが一騎打ちで敵を仕留めるイメージである。

 また従来機であるザクがグフと同じジオニック社の製品だったことも、両機を併用する発想に影響していたかもしれない。ジオニック社としては、最大のヒット商品であるザクを旧式化してしまうことに少なからず抵抗があったはずだし、その製品寿命をできるだけ長くしたいという意図があっても不思議ではない。その点、ザクと入れ替わる新型機よりも、ザクと併存して運用されることを前提とした機体の方がジオニック社にとっては好ましいシナリオだったという可能性はある。

 

グフはザクとは違うのか?

 しかし、結論を述べると戦局はジオン軍の予測通りには進まなかった。

 地上での天王山となったオデッサ作戦では、連邦軍の主戦力となったのは従来兵器である61式戦車やフライマンタ戦闘攻撃機であり、帰趨を決したのはMS同士の戦闘というより、770万人対98万人という人員数にものを言わせた物量差であった。このような戦場では対MS戦に特化し過ぎたグフはザク以下のパフォーマンスしか発揮できなかったと思われる。見方を変えれば緒戦の劣勢から体制を立て直した連邦軍には、少なくとも地上では従来の戦闘/兵器体系でジオン軍を圧倒する実力があったということでもある。一方、グフを中心としたジオン軍のプランはあくまで対MS戦を想定したものにとどまり、地上におけるMSの戦術的優勢をどう組み立てるかという課題に対して、ジオン軍は結局答えを見出せなかったのである。

 オデッサ作戦を境として、戦局の重心が宇宙に移ると連邦軍はMSの本格投入に踏み切るが、そこで採用されたのはガンダムような高性能機の少数精鋭主義ではなく、ザクと大差ない性能のジムの大量投入という戦略だった。

 ジムの生産数はザクに迫る3,800機と言われ、本格的な生産が始まったのがU.C.0079年10月からとすると月間平均で2,000機近い数が生産されたことになる。ザクの4,000機が1年以上かけて生産されたことを考えると、連邦とジオンのマニファクチャのあいだには数倍の差があったことがわかる。

 また兵員の問題も、ガンダムなどの試験機で得た運用データをジムの機体OSにインストールすることで錬成期間の短さを補う手法を採用した。多くが戦闘機などの航空機パイロットからの転換で、その点でも宇宙軍の方が人員数を揃えやすかったかもしれない。またジオン軍の戦闘単位が3機小隊編成だったのに対して、連邦軍は5機小隊編成を採用して、徹底的な物量優勢の確保に努めた。この辺り、ロジスティック担当のゴップ提督の手腕とも言えるし、MS推進派だったレビル将軍の影響力が宇宙軍で強かったということかもしれない。作戦レベルの指揮能力や組織的体質などに多くの問題を抱えていた連邦軍ではあるが、ジオン軍に比べると戦争のプロという印象を受ける。結局のところ戦争は数というリアリズムに徹したことが、連邦軍の勝因である。いずれにしても、国家間の全リソースを投入した総力戦という戦局のなかで、MS同士の一騎打ちを制するというグフのコンセプトは埋没してしまい、ザクのような汎用機のコンセプトの方が長く生き残る結果となった。

 しかしアジアやオーストラリア、あるいはアフリカ戦線などで繰り広げられた局地戦では、ジオン軍の予測した通りの戦場が展開され、多くのエース・パイロットがMS同士のチャンバラで躍動する場面が生まれたのも事実である。ゆえにグフは戦局に大きな影響を与えることはできなかったかもしれないが、多くのエースに愛される機体ともなったのである。

 

 さて、もうそろそろグフが「ザクとは違う」のかどうか、我々なりの結論を得たいと思う。確かに、

グフはザクとは違う。

 なぜならば、ザクは汎用機として戦争のリアリズムを体現した機体であるのに対して、グフはMS同士の一騎打ちという戦場のヒロイズムを追求した機体だから。

 

 

【謎解きジオン①】グフはザクとは違うのか?中編

 宇宙世紀に生きる者なら誰でも一度は抱く疑問にガチンコで挑む不定期連載企画【謎解きジオン】。第1回は「グフはザクとは違うのか?」です。前編はこちら。【謎解きジオン①】グフはザクとは違うのか?前編 - 勝つときは汚く 負けるときは美しく

 

オーバー・スペックなヒート・ロッド

 ヒート・ロッドは伸縮式の電磁鞭であり、サーベルのリーチを超えた中距離戦闘を想定した兵装とされているが全長が17.5mしかなく、これだとヒート・サーベルと実質的なリーチは大差がないようにも思う。伸縮式とはいえリーチの外に出てしまえば火力の低いグフは圧倒的に不利であり、ヒート・ロッドも基本的にはサーベルと同じく近接戦を想定したときの補助兵装と考えたい。

 ヒート・ロッド自体は摂氏400度まで加熱可能でヒート・サーベルやヒート・ホーク同様「斬る」ことが可能であり、ラル大尉はセイラさんの搭乗するガンダムの爪先を溶断してみせている。また絡み付かせて電流を流すことでカイ・シデンガンキャノンを行動不能に陥れており、むしろ本来のヒート・ロッドの用途はこちらにあったと考える。

 恐らく副兵装のヒート・ロッドで敵機の脚を止めることでインファイトに持ち込み、主兵装のヒート・サーベルでとどめを刺す、という運用方法が想定されていたのではないだろうか。決して悪い武器ではない。しかしこれを使いこなせるパイロットがどれだけ存在するか疑問も残る。

 鞭というのは熟練した使い手が用いれば近接戦闘で最強の武器になり得る。腕から伝わる運動エネルギーに加えて鞭自身が「しなる」ことによって先端にいくほど高速で動くことになり、その威力や回避の難しさは他の格闘兵装を凌駕するものになるからだ。しかし鞭の弾性によって速度が増すということは、その分制御することが難しいということでもあって、ましてや操るのは人間ではなくMSという機械である。

 MSというのは予めコンピューターがシミュレートした動作をパイロットの操作とセンシングした外部条件をもとに再現して動くもので(コックピットにみえるレバーやペダルだけで、あのような複雑な動作ができるわけではない)、鞭のような不規則な動作をコンピューターのシミュレーションだけで制御するには限界があるのではないだろうか。仕様上は積層した特殊デンドリマーに独立して電荷を与えることで自在に動かすことができるとあるが、そんな複雑な動作を近距離での対敵動作中に制御できるものか、大いに疑問符がつく。

 つまりヒート・ロッドはパイロットの操縦技術に依存する割合が大きい兵装なのである。言い換えれば、ラル大尉のようなエース・パイロットの技倆をもってして初めてヒート・ロッドは武器として有効に機能するのであって、並のパイロットにそれを期待するのは難しいということである。実際、オデッサ戦やジャブロー戦に大量投入されたグフがヒート・ロッドを使用しているシーンはあまり記憶にない。

 グフのリファイン・モデル、MS–07B-3グフ・カスタムではヒート・ロッドはワイヤー型に小型化し、溶断機能が廃されて放電機能だけとなり、鞭というより分銅のような装備となっている(ゆえにヒート・ワイヤーとも呼ばれる)。これもヒート・ロッドの機能で最も有効に活用されたのは敵機の運動機能への打撃だったことを示している。ヒート・ワイヤーでは積層式という複雑な構造が廃されたために自重を懸架可能なほど耐久性が向上し、また先端部が吸着可能な錘状(アンカー・タイプ)になっており、敵機の動作を拘束するというコンセプトがより明確になっている。

 こうして検討すると、ヒート・ロッドに鞭としての破壊力まで求めたのは、過剰に野心的なジオン開発陣にありがちな欲張り仕様だったといえまいか。結果として溶断機能はジェネレーターの給電負荷を高めただろうし、複雑な構造はメンテナンスの負担を大きくしたと思われる。

 しかしヒート・ロッドはまだいい。扱いが難しいが適切な乗り手を得れば悪い武器ではない。

 

中途半端なフィンガー・バルカン

 75㎜フィンガー・バルカン、これは厳しい。どういう状況を想定した兵装なのかよくわからないのである。

 まずグフ唯一の火器なのに火力が中途半端。5連装とはいえ口径75㎜というのはMS相手の想定としては小さ過ぎる。MSに対しては非力とされた連邦軍主力戦車M61の主砲でも口径150㎜の2連装式である。口径120㎜のザク・マシンガンがガンダムの装甲を貫通できなかったことも想起されたい。

 装弾数は不明ながら左腕部の余剰スペースを弾倉としていたということなので多くはないだろうし、作戦行動中の給弾も困難だろう。砲身自体も短いため射程距離も長くはとれなかった筈だ。

 あるいはMSではなく戦車や爆撃機のような通常兵器を標的とするなら、この火力でも充分脅威になり得る。確かにグフの兵装自体基本的にMSとの近接戦闘に特化しているので、本来の連邦軍の主力である通常兵器に対抗するという意図なら理解できなくもない。

 しかしフィンガー・バルカンは左腕のマニュピレーターの5指自体が砲身になっていてザク・マシンガンのような光学照準器をもたないため、盲撃ちで弾をばら撒くことしか期待できない。実験段階では曲射砲身によって柔軟な戦闘が可能とされたが、どういう状況を想定していたのだろう。遮蔽物の影から左腕だけ出して撃つとか、あるいは背後や側面に手だけ向けて撃つとか。確かに腕部と一体化していて取り回しがいい分撃ちやすいかもしれないが、狙って当てるというよりは、やはり弾をばら撒くという運用になるだろう。ただその割には装弾数が心許ない。

 またグフのMSとの格闘戦特化というコンセプトを考えると、左腕のマニュピレーターとしての機能を実質的に犠牲にしてまで通常兵器向けの兵装を付加することには大きな違和感を感じる。実際、多くの部隊では左腕をザクのものなどに換装して、ザク・マシンガン等を扱えるようにして運用されていたらしい。通常兵器向けの兵装だとしても中途半端さは残るのである、、

 火力が小さく、装弾数も少なく、射程も短く、狙撃にも向かない。もしMSに対してこのフィンガー・バルカンになんらかの効果を期待するならば、牽制射撃しかないだろう。

 そもそもグフは近接距離での格闘戦に特化した機体である。つまり補助兵装はグフの得意な距離までどうやって接敵するかという点に重心が置かれている筈だ。先に検討したように、ヒート・ロッドは本質的には敵機の運動能力に打撃を与えることで優位な格闘戦に持ち込むための兵装だった。ではフィンガー・バルカンはどうか。

 小口径とはいえ火器であるフィンガー・バルカンは当然ヒート・ロッドよりはリーチの長い兵装である。しかし火器が有効な距離では当然敵機も火器を使用してくる筈で、その場合相手がMSなら火力劣勢なグフは確実に撃ち負ける。火力優勢とはいかないまでも、ある程度は対抗できないと、直に射線上に機体を曝すこととなり、推力においてもザクに劣るグフがフィンガー・バルカンで敵機の狙撃を牽制して接敵することはかなり困難だろう。

 あるいは近接戦闘時の補助兵装としてはどうだろうか。似たようなコンセプトの兵器としては連邦軍RX-78-2ガンダムの頭部に実装されている60mmカートレス3砲身短バルカンが思い当たる。あれも若干意図の分かりにくい兵装ではあるが、ビーム・ライフル等の取り回しが困難な格闘戦時に、(奇襲効果も含めて)敵機の動作を牽制する効果が期待されたものと考えられる。無論、フィンガー・バルカンよりひと回り小さい60㎜の口径でMSを撃破することはさらに難しいが、ザク程度の装甲なら近接距離で大量に当てれば大きな損害を与えることも可能だろう。

 しかしグフのフィンガー・バルカンとガンダムの60㎜バルカンの間には用兵上の大きな違いがある。近接距離で想定されているガンダムの標準兵装は右腕にビーム・サーベル、左腕にシールドという装備であり、この点グフのヒート・サーベルとグフ・シールドとほぼ同じ想定だが、ガンダムのバルカンは頭部に実装されているために両腕の兵装がアクティブな状態である。それに対してグフのフィンガー・バルカンは左腕に固定されているために、射撃姿勢をとるとシールドによる防御を犠牲にせざるを得ないし、右腕のサーベルによる斬撃もかなり姿勢として厳しくなるだろう。これは近接戦闘時の補助兵装としては致命的な欠陥だと思う。ガンダムのバルカンは射撃のための姿勢変更を必要としない点からも、頭部にあるという奇襲効果からも、近接戦闘時の補助兵装としては一定の効果を期待できるが、グフのフィンガー・バルカンにはそれがない。

 ヒート・ロッドと同様に、グフ・カスタムではフィンガー・バルカンは大幅に見直された、というか撤廃されている。グフ・カスタムの携行火器は6砲身75㎜ガトリング砲と一体化したガトリング・シールド、左腕前部に装着式の口径35㎜3連装ガトリング砲の2種を標準とし、火力としてはかなり強化されている。

 しかし主兵装が白兵戦にあることは変わりがなく、ガトリング・シールドは中距離から近接戦闘に持ち込むための牽制射撃をはっきりと意図した仕様になっている。口径はフィンガー・バルカンと同程度ながら6砲身のガトリング式を採用、速射性能を強化することで弾幕を張り、面での制圧力を大幅に向上させている。外装式にしたことで作戦行動中の給弾も可能となった。火力をそのままに手数を増やすという思考は、やはりとどめは白兵戦を想定していたと考えられる。というか、そうでなくてはもはやグフである必要がないということかもしれない。

 地味にガトリング砲は着脱式でシールドと分離可能となっており、接敵後はデッドウェイトとなるガトリング砲は放棄して、左腕をシールドによる防御に使えるようになり、従来機の抱えていた矛盾も解消されている。

 35㎜3連装ガトリング砲の方はフィンガー・バルカンより取り回しの悪いガトリング・シールドを好まないパイロット向けのオプション、あるいはガトリング・シールド自体が放棄前提の設計なので、予備火器として用意されていたのかもしれない。

 

 さて、このようにグフの固定兵装には課題が多く、量産機としては短命に終わった機体でもある。ではグフは失敗作だったのか、あるいはジオン十八番のトンデモ兵器の類だったのか。

 否、

 グフ・シリーズは確かに全体としては成功した機体とは言い難いかもしれないが、青い巨星ランバ・ラル大尉はもとより、荒野の迅雷ヴィッシュ・ドナヒュー少尉、トーマス・クルツ少尉、グフ・レディことサイラス・ロック中尉、マルロ・ガイム中尉など、重力戦線の錚々たるエース・パイロットに愛された機体でもある。

 そして、恐らくここまで目を通して貰った読者には薄々理解されていると思うが、グフの欠点のほとんどはMS-07B-3グフ・カスタムにおいて解決できているのである。

 恐らく『第08MS小隊』におけるノリス・パッカード大佐搭乗の「イェバ」、あるいは『ギレン暗殺計画』でのランス・ガーフィールド中佐搭乗の「ヴァイス・ローゼ」など、歴戦のエース・パイロットが駆るグフ・カスタムの化け物じみた戦闘力を目にしたひとは皆こう思うのではないだろうか。

これが真実のグフだ、と。

 その意味では、MS-07Bグフは現実的にはまだ試作段階であり、運用上のフィードバックから完成した機体がグフ・カスタムだったと言えるかもしれない。実際、ラル大尉が搭乗したYMS-07Bは試作機ではあるものの、制式化されたMS-07Bと仕様上の差異はほとんどなかったのである。あるいは、ラル大尉の試作機の運用結果がなまじ上々だったために、開発陣が機体性能を過大評価して、それが少なからずパイロットの技倆に依存していたことが軽視されてしまったのかもしれない。

 結果として兵器としてのグフは短命に終わったが、グフというコンセプト自体は謂わば未完のプロジェクトとして、一部のエース・パイロットのもとで開花した、と言うのが正しい評価なのかもしれない。

 

 では、ここまでは機体性能と兵装の面から論じてきたが、最後に改めてグフというコンセプトがどこから生まれたのか、MS開発史上の画期を再確認しつつ検討し、グフは「ザクとは違ったのか」という問いに対して一応の見解を得たいと思う。

 

 ヒート・ロッドとフィンガー・バルカンの話だけで5,000字を超えてしまったので後編に続きます。

【謎解きジオン①】グフはザクとは違うのか?前編

 宇宙世紀に生きる者なら誰でも一度は抱く疑問にガチンコで挑む不定期連載企画【謎解きジオン】。第1回は「グフはザクとは違うのか?」です。

 

 ジオニック社のMS-06FザクⅡを始めとする06シリーズは一年戦争中最も多く生産された(約4,000機)、ジオン製MSを代表する名機である。しかし一年戦争が長期化し戦線が地上に拡大するに及んで、抜本的に重力下での戦闘に最適化された機体が求められるようになった。そうしてザクの後継機として期待され、同社が開発した陸戦用MSがMS-07Bグフ等の07系統である。

 

 グフをザクとは違うのだよ、ザクとは」と喝破したのは宇宙攻撃軍のエース、グフ乗りの代名詞とも言える青い巨星ランバ・ラル大尉。なにしろラル大尉の乗機のパーソナルカラーがそのまま制式採用されているくらいだから、やはりグフと言えばラルである。

 そのラル大尉の搭乗するグフと対戦したアムロ・レイもファースト・コンタクトで「こ、こいつ、違うぞ…ザクなんかと装甲も、パワーも…」 と洩らしている。一年戦争屈指のエース・パイロット2人が違うと言っているくらいだから、やはりグフはザクとはなにかが違うのだろう。ラル/グフとの最初の交戦を経たアムロはシミュレーションでそれまで戦ったザクのデータに対してグフを120%増しと評価している。

 

性能諸元の比較

 実際、アムロの評価はどの程度正しかったのか。比較の対象は陸戦用に改修されたザクMS-06Jとランバ・ラルが搭乗した試作型のグフYMS-07Bである。

 

MS-06JザクⅡ陸戦型/YMS-07Bグフ試作型

【全高】 18m/18.7m(3.8%増)

【全備重量】 70.3t/75.4t(7.2%増)

【装甲材質】 超硬スチール合金

【出力】 975kw/1,034kw(6%増)

【推力】 45,400kg/40,700kg(10.4%減)

【最高速度】 時速85km/99km(16.4%増)

 

 データ面で比較するとグフはザクより4%ほど大柄で、ジェネレーター出力が6%増しになっており、アムロの印象通りパワー面でのザクとの違いは若干認められる。逆にスラスター推力ではザクを10%下回り、重量も7%増しているが、最高速度は16.4%向上させている。

 グフはザクの後継機ながら新造パーツが60%を占めており、ラジエーターの大型化による冷却効率の向上、燃料タンクや無重力区域用の装備の削減など重力下戦闘に最適化された形で再設計することで、ザクに比べて重装甲かつ高機動を目指した機体といえる。

 装甲材はともにジオン製MS定番の超硬スチール合金となっており、材質面で違いはみられないが、デッドウェイトを廃して重量の増加を抑えつつ要所要所の装甲を厚くし、重力下での機体バランスのリファイン、ジェネレーター出力の増加、冷却効率の向上などによって機体自体の運動性能を増すことに成功している。

 

 ザクがスラスターの推力に依存する空間機動の考え方を残していたとすれば、グフは大胆に自らの脚で「走る」ために造られたMSであり、開発史上に位置付けるならば、宇宙から地上へ主戦場が移行した戦局で、本来空間戦闘用の兵器として生まれたMSの重力下での機動コンセプトをジオン開発陣が模索した結果生まれた機体とも言える。

 この辺りは局地戦用MSの面目躍如たるところがあるが、グフのコンセプトはツィマッド社のYMS-15ギャンなど一部の通好みの機体に継承されたものの、ホバー走行という技術革新や再び宇宙に移行した戦局の変化もあり、ジオンMS開発の主流はドムや高機動型ザクといった大推力の機体に回帰していき、グフの示した可能性が充分に開花させられることはなかった。ジオニック社のライバルであったツィマッド社のギャンにグフのコンセプトが引き継がれ、主力機コンペでゲルググに敗れたのも皮肉な経緯ではある。むしろガンダムやジム・ストライカーのような連邦製の白兵戦用MSの方がグフのコンセプトに近かったかもしれない。これは連邦軍のMS開発が当初地上を想定して進められたために、結果として似通った重力下での戦闘ドクトリンが採用されたためと考えられる。この問題はのちにまた検討したい。

 

 しかしどうだろう。率直に言ってデータ面からは「ザクとは違うのだよ、ザクとは」と喝破するほどの性能差がグフとザクにあったのかというと微妙な印象を受けないだろうか。単純な性能諸元の比較では「ザクの120%増し」とは言い難く、アムロが再戦した後に述べた通り、「ザクとは違」ったのは、あくまでラル込みのグフだったと言う方が正しいだろう。

 

固定兵装の問題

 そもそもグフは評価の難しい機体である。生産数は200機程度と言われており、一年戦争を通じて4,000機が生産されたザク・シリーズに比べると、主力機として後継足り得たとは言い難い。特に評判が悪いのは、その固定兵装である。

 

【YMS-07Bの武装

 ヒート・サーベル
 グフ・シールド
 ヒート・ロッド
 5連装75㎜フィンガー・バルカン

 

 グフの基本的な運用方法は近接距離での白兵戦闘である。完全なインファイターであって、そのためにスラスターを吹かして動き回るよりも脚を止めて叩き合うスタイルに特化している。そしてそのコンセプトに沿ってザクの武装をヴァージョンアップした標準装備がヒート・サーベルとグフ・シールドである。

 

完成度の高いヒート、サーベルとグフ・シールド

 ヒート・サーベルはザクの標準兵装であるヒート・ホークを大型化したもので、ヒート・ホークが本来対艦戦闘用の近接攻撃を想定し、バズーカやマシンガンを主武装としたときの補助兵装だったのに対して、陸戦兵器であるグフのヒート・サーベルは明らかに対MS戦での白兵戦を意識した主兵装である(地上で戦車や戦闘機との白兵戦は想定しづらい)。脚を止めての叩き合いなら得物の長さが物を言うのは古今東西変わらない。

 

 グフ・シールドも同じく近接距離での防御を想定してザクのショルダー・アーマーよりも大型化しており、さらに言えばショルダー・アーマーがザクの右肩に固定されていたのに対して、グフ・シールドが左腕に装備されているという微妙な仕様上の差異は、地味にグフとザクの運用思想が違ったものであることを端的に示している。

 ザクがショルダー・アーマーで防御姿勢をとれば、ヒート・ホークにしろザク・マシンガンにせよ、通常右腕に持っている武器は使えない。つまりショルダー・アーマーは専守防衛を前提としている。またザクの左肩にはスパイク・アーマーが固定されていて、運用イメージとしては右腕に装備した火器での牽制射撃、あるいはショルダー・アーマーで火線を防御しながら接敵し、推力を乗せてタックルを喰らわすという意図だったのだろう。

 あるいは、ザクのショルダー・アーマーに関しては南極条約以前のザク・バズーカが戦術核弾頭装備だったことと関連している可能性がある。のちの話ではあるが、U.C.0083のデラーズ紛争のときに連邦軍観艦式を襲撃した戦術核装備のRX-78-GP02ガンダム試作2号機も発射後の衝撃を回避するために特製のシールドを携行していた。ザクのショルダー・アーマーも戦闘時の防弾装備というより核使用時の対ショック防御を想定していたのかもしれない。05にはショルダー・アーマーがなく、06から標準装備とされていたのにも、シールド使用時に攻撃姿勢がとれないという仕様とも整合性もとれる。

 合理的かはともかくとして(実際、ザクがショルダー・タックルを喰らわしているシーンは少なく、赤い彗星シャア・アズナブル少佐とMS格闘戦の草分けガデム大尉くらいしか記憶にない)、これらザクの標準兵装からは近接距離での同機の運用思想が叩き合いではなく、(艦船や戦闘機に対して)相対的に優勢な機動力を活かした一撃離脱だったことを示している。これは宇宙空間を戦場として、まだ連邦軍がMSを持たなかった一年戦争初期の戦闘状況とも合致している。

 それに対してグフ・シールドとヒート・サーベルの組み合わせは、脚を止めての叩き合いを想定し、左腕のシールドで防御をしながらリーチの長いサーベルで格闘戦を優位に進めるという意図によって設計されており、その条件下なら大推力よりも叩き合いに耐え得る重装甲と機体自体の持つ運動性のプライオリティが上がることは理解できる。近接距離での格闘戦という特定のシチュエーションに特化し過ぎているきらいはあるが、その問題はのちにまた検討することとして、ヒート・サーベルとグフ・シールドは想定された戦闘状況に対する合理性をそれなりに備えた兵装だったと評価できる。

 

 問題は、グフをワンアンドオンリーな存在にしている固定兵装のヒート・ロッドと5連装75㎜フィンガー・バルカンである。

 

 思った通りというか、想定以上というか、書き始めたら長くなったので、中編に続きます。

 

【コンテ・インテル回想】断腸の思いを込めて②

 コンテのチームはいつもかなり個性的というか、渋いけど面白いと思ってるんですが、あんまり人気はないですね。

 

 人気がない理由は、わりとパターナルなんですよ。アメフトみたいな考え方で、決め打ちが多い。サッカーって、なにせ脚でやるんでどうしたって不確実性の競技で、だから他の球技に比べて得点が少ないし、パターナリズムに嵌りにくい。そこが面白いところだから、コンテのパターナルなチーム作りはあんまり人気でないですね。私は好きですけど。

 いくつかコンテっぽい特徴挙げてみます。

 

①気持ちは4トップ

 もともとコンテはパドヴァとかユヴェントスの最初の方とかは4-2-4とか言われてましたね。

 4-2-4といっても中盤がずっと2人のはずがないんで、まぁようは4-4-2なんですけど、両サイドを出来るだけ高い位置に早めに進出させるってところがコンテの意図なのかなと。なので4-2-4か4-4-2かというのはコンセプトレベルというか、選手の意識の持たせ方なんだと思います。

 4-4-2の中盤両サイドがポゼッション時に早いタイミングで前線と同じ高さまで上がっちゃうと、組み立てには参加できないから。中盤はスカスカになってボール回して組み立てっていうのは難しい。それでも4-2-4を選択するっていうのは、ようは相手の守備ラインと同じ高さに4人以上並べたいんだと思います。それもファーサイドもアウトサイドレーンに残して、出来るだけ広く位置どる。

 最終ラインに4人入ってこられたら守る方は最低4人の同数、定石でいえは5人残さないといけないですよね。それも両アウトサイドに張ってるんでサイドバックは上がりにくくなってピン留めされる。戻りきれてなかったら中盤の誰かがカバーしなきゃならないんで、今度は中盤が空く。ようは自分の中盤はスカスカになるけど、相手の中盤も空いてくると。中盤を制するというより、中盤自体を無くしちゃうという発想。

 両サイドに選手を攻め残らせて相手のDFをピン留めするのは多分クライフが始めて、グアルディオラもよく使う手ですね(この前のCL決してでもやってました)。ただクライフはそれで中盤、特にバイタルを空けて、そこでポゼッションするためなんですけど、コンテの発想は逆で中盤を省略するためなんですよね。

 

②縦パスとパターンプレイ

 じゃあ中盤省略してどうやってボールを前に運ぶかというと、そこが結構決め打ちのパターンプレイになっていて、ディフェンダー+αからの縦パスを前線の4人に入れて、それを回収するのが中盤の仕事。

 それがアバウトなロングボールにならないように、どこから誰に縦パスを入れて、それを誰が回収してシュートまで持っていくみたいな決まり事がカッチリ決まっている。だから選手もわりと得意なことがハッキリしているスペシャリスト系が多くて、だからコンテのチームにいる選手は似てくる(笑)。

 ユーヴェでも最初の方は4-2-4だったけど、途中から3-5-2になって、その後はイタリア代表でもチェルシーでも基本同じやり方になりましたね。

 3バックに変えたのは、ユーヴェにはボヌッチっていう長い縦パス蹴らせたら多分世界一のセンターバックと、恐らく史上最高のレジスタであるピルロという、ロングパスのスペシャリストが2人いたからだと思います。

 この2人に縦パスを余裕を持って入れさせるためには最後尾でのポゼッションを確立した方がいい、だから3バックの方が安定するっていうことだったと思うんです。

 4バックだと、2センターバック+キーパー+ピルロの4人でボールを回す感じになって、またキーパーがブッフォンであんまりパス回しが上手くないから、ちょっと余裕がない。3センターバック+キーパー+ピルロなら5人でポゼッションできるんで、相手がプレッシングかけてきても、前線に残してるのは大体2人、多くても3人で2人の数的優位があるから、まず余裕でかわせる。

 ユーロのときとか、最終ラインとピルロのユニットはユーヴェと全く同じで、これにジャッケリーニキエッリーニ脇まで降りてきて、前線のペッレの頭めがけてフリック気味の縦パスを送るパターンとかあって、そういう決めうちの多さは、ちょっとビエルサにも似てるかもしれない。

 3バックにして以降のコンテのチームには基本的に縦パスの出せるセンターバックと、それを最前線で収められる屈強なセンターフォワードという組み合わせが必須になりましたね。インテルでいえば、デフライルカク。2トップのもう片方はセンターフォワードが収めた縦パスを回収できるセカンドトップで、俊敏で狭いスペースでボールをコントロールできる、いまでいえばまさにラウタロですね。ルカクラウタロのペアは滅茶苦茶コンテっぽい。アッズーリでのペッレとエデルの上位互換って感じです。すっかり衰えちゃって全然点が取れなくなったアレクシス・サンチェスをコンテが意外に重宝しているのも、ルカクとの組み合わせでいえばベターなんだと思います。

 

③誰かがきつくなるのがコンテ流

 4-2-4のときの前線両サイドアウトサイドの原則が3バックになってどうなるかというと、つまり3-3-4になるわけですね。両ウィングバックに高い位置どりを要求する。チェルシーのときもそうですけど、これをコンスタントにこなせる選手というのが非常に難しい。

 3バックといっても、守るときは3人じゃカバーしきれないからウィングバックが最終ラインまで戻らなきゃならない。つまり3-3-4と5-3-2を行ったり来たりしなきゃいけないわけで、体力的にこれをやり切りながら前線でアタッカーとして振る舞える選手なんて、そうそういないわけです。サイドバックの選手なら体力はあるけど、高い位置に出たときに技術的にもアイデア的にも手詰まりになることが多い。チェルシーのときは本来アタッカーのモーゼスをここで使ってましたね。モーゼスは純粋なアタッカーとしては下手だけど、走力とスピードがあって、サイドバックよりは崩しの局面でも期待できるんで、ウィングバックで嵌まりましたね(インテルではダメだったけど)。

 コンテのチームは特定のポジションの選手への負荷が凄いんですよね。4-2-4のときだったら中盤の2がきつい。縦パスのセカンドボールの回収をしないといけないし、ネガティブトランジションになったらすぐにプレッシングに入って、さらに広大な中盤を2人でカバーしないといけない。走り倒しですよね。ここ3人でもきついと思います。

 3-5-2のときは一番きついのは両ウィングバックでインテルの1年目はここの人材を得るのに苦労しました。前半戦はベテランのカンドレーヴァが意外に頑張ってくれてたんだけど、シーズンフルにやるのは土台無理で、冬にモーゼスをレンタルしたり、困ったときのダンブロージオ頼みで、なんとかやり繰りしたけど、ここに適材を得ないとただの5-3-2になるんで、結局ラウカク頼みのサッカーになっちゃいましたね。

 今季でいえば、左ウィングバックはペリシッチがちょうど前期のカンドレーヴァみたいに気を吐いてくれたけど、ベテランにこのポジションをフルは無理なんで、ダルミアンやヤングとのローテーションでやり繰りしてました。前期との大きな違いは右ウィングバックにハキミを補強して、これがバッチリ嵌ってくれて、シーズン通して固定できたところですね。

 ハキミはまだ若くて走力が抜群。なんといっても滅茶苦茶脚が速い(笑)。前半戦はどちらかというとカウンターで効きまくってましたね。ハキミのいいところは脚が速いだけじゃなくて、カウンターのときにダイアゴナルに走って自分でシュートまで持っていけるところ。ウィングバックの選手で内側のレーンに入ってこれだけ仕事のできる選手は貴重だと思います。サイドバックだとなかなかここまで入っていけないからウィングバックは天職なんじゃないでしょうか。

 ただしコンテは守備に関しては横のレーン移動は好まないみたいですね。縦の運動量はすごく要求するんだけど、例えば相手のレジスタのマークにいくのは一番遠い自分側のレジスタのブロゾビッチだったりして、そこはエリクセンあたりが横にズレていけば走る距離が少なくて済むのにとか思うんですが、縦のレーンの受け持ちをずらしたくないんでしょうね。なので守り方はカバーリングよりもまず自分のレーンでマッチアップする相手をデュエルで掴むというのをすごく意識してるようにみえますね。

 

④今季の肝は3バック

 本来コンテがやりたいのは前線に4人が並ぶことで、インテルでいうとラウカクの外側にウィングバックが入って欲しいんですけど、前半戦はできてなかった。なぜかっていうと組み立ての質が低くてカウンター頼みになってたから。だからハキミのスピードが活きるのはいいんですけど、やりたいのは違うサッカーだったと思うんですよね。

 前期からの懸案だったエリクセンの使い方が徐々に定まってきて、崩しの局面よりもビルドアップのときにブロゾビッチと並ぶ形が嵌ってきたお陰でボールを回せるようになって、ラウカクにボールが入ったときにバレッラが早めに絡みにいくことで、ラウカク一辺倒だった攻めに多少変化がつけられるようになったのがひとつ。

 コンテのサッカーは縦パスとパターンプレイなんだけど、インテルの場合はラウカクの即興的なコンビネーションがパターンプレイよりも良すぎて、かえって攻め手が少なくなっていた。

 典型的なトレクァルティスタのエリクセンを入れたものの、彼には彼の即興的なアイデアがあって、それとラウカクのテンポが全然合わないという問題を前期は抱えていたと思うんですね。今季はエリクセンをブロゾビッチと並べて、ラウカクに絡みにいくのがエリクセンよりはるかにインテンシティの高いバレッラになったことで、そこはある程度形になった。本来コンテの中盤は縦パスの落としを回収するのが一番大きいタスクなんで、バレッラとブロゾビッチはそこをこなしながら崩しや組み立てに絡めるんだけど、そこでいうとエリクセンはやっぱり弱い。ただブロゾビッチの負担は減ったし、前よりボール持てるようになったんでバレッラが崩しに絡みにいく頻度も上がったという間接的な効果はあったのかなと。

 

 中盤やウィングバックよりも、今季最もインテルのストロングポイントになったのは3バックのところだと思うんです。

 前期はゴディンというウルグアイ代表のセンターバックを補強したんだけど、これが最後までうまく嵌まらなかった。コンテのサッカーは中盤を出来るだけなくして2ラインみたいな形に相手を巻き込むんで、ボールを前に送るのはディフェンダーにやって欲しいわけです。ゴディンも下手な選手ではないんだけど、コンテの要求していたのはもっとアグレッシブなプレイで、センターバックがボール持って、相手が寄せて来なかったらドリブルでドンドン持ち上がってスペースを前に作ってから縦パスを入れると、そこは結構リスクとってやれよという仕事を、ゴディンはなかなか飲み込めなかった。

 シュクリニアルも同様になかなか嵌まらなくて、むしろ若いバストーニがそういうプレイをどんどん出すんで台頭した。守備者としてはゴディンやシュクリニアルの方が遥かに経験豊富で堅いんですけど、コンテはバストーニのリスクをとるプレイを評価したんだと思います。その辺のチャレンジに対してコンテはかなり寛容というか、バストーニは結構自分で持ち上がってボール失ったりしてたんですけど、それで外されるようなことはなかったですね。

 ハンダノビッチオールドスクールなキーパーで、本来パス回しとかに入るようなタイプではないんですけど、かなり危なっかしい場面が多くても、本人が果敢に勇気を持って挑戦するんで、コンテもそこは辛抱強く起用し続けたり、この辺りのコンテのブレなさが今季は結果に結びついた感じはありましたね。

 ゴディンみたいな経験豊富なセンターバックからすれば、自分のところでボールロストするっていうのはとんでもない話なんで、どうしてもそこで染み付いたプレイから切り替えられなかったんだと思います。シュクリニアルも前期は苦戦していたけど、今季に入って徐々に慣れてきて、3バックが固定できて、かつ最終ラインからの組み立てが形になったのは前期からの一番の変化だったと思います。

 今季は組み立てだけじゃなくて、例えばウィングバックとインテリオールとセンターバックでトライアングルを組んで、ウィングバックが内側のレーンに入ったときはセンターバックが外に開いて、インテリオールがカバーリングポジションをとるみたいな崩しの形がオートマチックに出るようになって、中盤はセカンドボールの回収とそこからの再展開に集中できるようになった。3バックを含めた全体の攻撃への関与度が上がったことで、ボールを前に運ぶ質が前期よりあがったと思います。こういうディフェンダーのタスクがマルチ化するのを最近のドイツではハーフディフェンダーとか言うらしいですね。チームに対する印象も、ちょっと実験的というか、他の球技の方法論を取り入れたような極端なやり方を採用するところとか、ライプツィヒとかザルツブルクとかのレッドブルグループのチームに近いものを感じます。

 

 総じて、前期からの試行錯誤の結果として、コンテのサッカーで徐々に適材を適所に得るようなってきた。補強が嵌ったところもあるし、メンバーが同じでもうまく適応できるようになったというところもある。ただ全体としては層が薄いというか、バックアップまで含めて適材適所になっているかというと、そこは厳しくて、CLで早期敗退して(ELにすら進めなかった)試合数が減ったことで、層の薄さという問題がそれほど顕在化しなかったということでもあるかなと。そういう意味では、コンテは本質的にはメガクラブよりも若くて無名の選手が多いチーム、たとえばビエルサのリーズみたいなところが合ってるのかもしれません。同じチームであんまり長続きしないところもビエルサに似ているし。

 

 コンテが退団しちゃったのは残念でしかありませんが、諸々ちょっと仕方なかったかなとも思います。なんといっても10年ぶりのスクデットですからね、感謝しかありません。選手からの支持が高いんでチームが空中分解しないか心配ですが、うまくコンテの遺産をインザーギが継承できるといいですね。

 

【コンテ・インテル回想】断腸の思いを込めて①

やっぱり辞めちゃいましたね、コンテ

 1年目の冬くらいにはもう経営陣と揉めてたんで、こりゃ長くは続かないかなと思ってましたが、10年ぶりにスクデットを獲った直後に優勝監督が辞めるっていうのは、やはり断腸の思い以外の何物でもないですよ。10年前にモウリーニョが辞めたときは、3冠でやり切った感あったから感謝しかなかったけど。

 コンテは1年目はまだまだ未完成で、2年目の今季になっていろいろミッシングリンクが嵌ってきて、CLは早期敗退しちゃったけど尻上がりに形になってきて、最後はユーヴェやミランもついて来れなくなって余裕の優勝だったんで、来季CLでみたかった。いやまだ正直CLで上を目指せるレベルではないんで、あと2〜3年やって欲しかったけど、一箇所に留まらないタイプなんで、なんとか次期政権はリセットじゃなくて、少しでもコンテの遺産を継承して欲しいなと。まぁコンテを慕う選手も多いし財政面での事情を考えても、少なからぬ主力が移籍しそうだけど( ;  ; )。

 

いまは堪えるときかな

 優勝直後に選手は20%減俸とか言われたら、そりゃ怒るのはわかります。一方で、言い方、話し方、タイミング、そういう問題でもあったと思うんです。とにかくお金がないんだから、インテルは。

 なんとか資金調達はできたみたいですけど、もともと他のメガクラブに比べたら人気が全然ないですからね。DAZNでも吉田のいるサンプドリアや富安のボローニャの方が放送されますからね。前年2位のチームなのに。

 もともとモラッティさん時代の放漫経営があって、10年間タイトルを獲れない時代があって、高年俸の功労者を抱えてて、オーナーが2度変わって、そこにきてこのコロナ禍ですからね。

 モラッティさんがいまの状況はチャン会長が望んだことではないと擁護してましたが、なんとか資金調達してクラブを存続できたという見方もあると思うんですよ。

 伝統的にインテルはマネジメントもマーケティングも酷くて、今回の減俸の件も、あぁマネジメントが悪いなぁという印象があります。選手の士気は高かったし、コンテも支持されていて、流れとしては来季に向けてモチベーション上がっていたと思うんで、話の仕方次第では、どこかに着地点があったような気がしてなりません。

 スティーブン・チャン会長はまだ若いけど、サネッティ副会長やマロッタCEOとの不協和音もないし、経営者としては頑張ってくれてるという印象あるんですよ。インテリスタが海外資本の経営者に望むのがまず資金だという心情もわかるんですけどね。

 

インテル会長がコンテの電撃退任理由を明かす「私たちの異なる考えが別れの原因」(GOAL) - Yahoo!ニュース

 

 コンテは、まぁいいところでもあるんですけど、とにかく頑固で融通が効かないですね。一方で選手からの支持は高いし、ほんとに見たまんまの堅物の熱血漢なんでしょうけど。ほんとに現役のときのプレイスタイルそのまんま。

 一年目、補強した選手はわりとコンテの意向に沿ってたと思うんですよ。ルカク、バレッラとか今季の主力になったし。一方でゴディンやモーゼスとか、コンテが呼んで外したのも結構あるんで、そういうのがあるのはどうしても仕方ないこととして、経営はそれなりにやることはやってると。

 ただ層が薄いんでCLとの二足の草鞋は無理だった。そこで冬に補強資金が捻出できなかったことでコンテがキレたんだけど、ちょっと無い袖は触れない感はありましたなね。

 今季はハキムは大当たりだったけどコラロフとかビダルはまた外してるんで、コンテは意外に補強は下手かもしれないです。ラウカクやバストーニ、バレッラなんかはコンテが育てた選手と言っていいと思うんで、トレーナーとしては優秀なんだと思いますが。

 まぁともかくコロナ禍ということもあって財政的に支えられなくなったと。せっかく結果が出たんだから、みんなが我慢して状況の好転まで堪えるという選択肢がもう少しスマートにあればもよかったのにとは思いますが、個人的には現経営陣はそんなに悪くないと思ってるんで、なんとか頑張って欲しいです。

 

 長くなったんで、今季のインテルの競技的な面については次回。

 

【CL決勝所感】結局一番いいチームが勝った

チェルシー、勝ちましたね、CL。

 

 プレミアリーグのクラブの中ではわりと好きなんですよ、チェルシー

 イングランドでは珍しくイタリアの影響を強く受けてるチームで、90年代にグーリットとかヴィアッリがプレイングマネージャーをやったり、選手としてもジャンフランコ・ゾラディマッテオらのイタリア代表や、ミランのレジェンドだったデサイーもいましたね。

 我らがラニエリさんも監督してたし、アブラモビッチさんがオーナーになった全盛期の頃の監督はモウリーニョだったりで、イングランドのチームとしてはかなり戦術的に洗練されているイタリアっぽい伝統があるんで好きなんですよ。

 

 ただグアルディオラとクロップの二強時代になって以降、プレミアも戦術面で急激に高度化してるんで、イタリア的な伝統ももうあんまり特徴とは言いがたくなってきてましたが、トゥヘルが今季途中から就任してまた面白いチームになってきたなと。

 

 この試合も、結果としては1-0でチェルシーの逃げ切りといえばそれまでなんですが、まぁ渋い試合で、結構楽しめましたよ。いくつかポイント挙げます。

 

 

①両アウトレーンのマッチアップ

 攻め方の発想はお互い似ていて、シティはウィングのスターリングとマフレズがアウトサイド一杯に張ってチェルシーの5バックのピン留めを試みる。

 センターはデブルイネが偽9番的に入って、彼がバイタルに引けばチェルシーセンターバックが3枚浮いちゃうんで、シティは好きにボール回せると。センターバックがデブルイネを捕まえようと前に出たら、ズレたところにインテリオールのフォデンやベルナルド・シルバが入り込むか、大外のスターリングやマフレズがダイアゴナルに走り込む、そういう攻めのイメージだったんだと思います。

 

 チェルシーの方もハフェルツとマウントがアウトサイドに張る形で、ただ中はヴェルナーでここはシティと考え方が違って徹底した裏狙い。ヴェルナーは今季点取れないで酷評されたりもしてましたけど、この試合では動きはよかったですね。お互いに前線のアウトレーンに選手を張り付けて幅と深さを取ろうとする発想は似ていた。ただ守り方と、使いたいスペースがかなり違いましたね。

 

②最終ラインの構成

 シティの守備はスタート4バックなんだけど、ポゼッションしたら左のジンチェンコ が偽サイドバック的にアンカーのギュンドアンの脇に入って、右のカイル・ウォーカーストーンズ、ルベン・ディアスが3バックを構成する。なので、マッチアップ的には右からウォーカー対マウント、ストーンズ対ヴェルナー、ルベン・ディアス対ハフェルツという3対3の数的均衡になる。まずこの噛み合わせがあんまりよくなかったようにおもいます。

 

 チェルシーの両サイドのハフェルツとマウントは、シティのウィングとは全然違うミッドフィルダータイプで足元にポールが収まる。この2人がアウトサイドに張って3バックの外側を引っ張って距離があるんで、ストーンズの周りがガラガラになってヴェルナーは好き放題走れる感じ。

 ストーンズカバーリングバックタイプで割と重いんですよね。対するヴェルナーは広範囲に走り回るしスピードもあるんで捕まえきれない。ファーストディフェンダーとしてもよくプレッシングするんでストーンズの持ち味であるロングフィードも封じられてましたね。まぁシティはGKのエデルソンが一番ロングパスが上手いんでそこに流せはするんですけど。

 右のカイル・ウォーカーはもともとサイドバックなんでスピードもあって広範囲に走れてパワーもあるんで、マッチアップするのがウィングタイプならもっと効いてたと思いますけど、マウントは典型的な10番タイプなんで、ここもあんまり噛み合ってませんでしたね。左のルベン・ディアスは万能タイプなんですけど、これも結局ハフェルツに引っ張られて外に張り出すことが多かったんで良さが出てなかったように思います。

 アンカーがフェルナンジーニョだったらストーンズの周りのスペースをもうちょっとケアしてくれたかもだけど、ここにギュンドアンが入ってたんで、ヴェルナーはガンガン走れる感じでした。ジンチェンコ はフォデンがある程度自由に動いてできたスペースを埋める役割だったのかなと。

 シティはファーストディフェンダーを超えられたらジンチェンコ が左サイドバックに落ちて4バックに戻すんだけど、そもそもチェルシーの攻めがほぼ速攻オンリーなんで、結局シティの最終ラインはほとんど3対3の局面が多かったですね。

 

 チェルシーの3バックは、右がアスピリクエタでここはカイル・ウォーカーと同じようなサイドバック系のストッパー、左はフィジカルモンスター系のリュディガー、真ん中がベテランのチアゴ・シウバカバーリングバック(前半でクリステンセンと負傷交代)という構成で、人的にはシティと似たような感じでしたが、そもそもシティの前線が真ん中を空けているんで、がっつりマッチアップするということがなく、それぞれが入ってきた選手を捕まえるという感じでしたね。

 

③アウトレーンのデュエル

 チェルシーの守備は完全に5バックで、シティの両ウィングに対して右ウイングバックのリース・ジェイムス、左のベン・チルウェルが1対1できっちりマッチアップする。ここの守り方がまずシティと全然違ってましたね。

 序盤は左のスターリングが何度かダイアゴナルにチェルシーの右ハーフスペースに走り込んで、そこにエデルソンからピンポイントのロングパスを飛ばしていいシーンを作ってましたけど、カンテがここのカバーリングをするようになってから消されましたね。

 シティの左ウィングのマフレズはチルウェルに消されてほとんど何も出来ず。ここはベルナルド・シルバでもよかったと思うんですけど、シルバがひとつ内側のインサイドレーンに入っていて、彼もどうしたってくらい存在感なかったですね。

 左に張り出すなら縦に強いマフレズの方がベターって判断だったのかもしれないですけど、この2人は使いたいスペースが同じサイドのハーフレーンで、この試合に関しては完全に打ち消しあってる感じになっちゃいましたね。ジェズスが入ってからはジェズスが右に流れてマフレズが内に入ったり少し形つくったけど、クリステンセンやリュディガーがカバーリングして崩れませんでした。

 

④ハーフレーンの消し込み

 シティが使いたいのはチェルシーの3バック手前のハーフレーン辺りのスペースだったと思うんですけど、デブルイネの偽9番でチェルシーの3バックが浮くはずが、早めの時間帯で負傷交代しちゃったのは不運でしたね。ただこの試合のチェルシーの3バックの出来をみるに、ハーフレーンはリュディガーやアスピリクエタが前に出て、さらにカンテも駆けずり回ってカバーリングして、最終ラインのスペースはクリステンセンが消してたので、デブルイネの負傷がなくてもなかなか崩せなかったんじゃないかな。

 

 シティではフォデンがかなり大きく動いてなんとかしようとしてたけど、チェルシーの(特にカンテの)チャレンジ&カバーがしっかりしていて、マークを剥がしてニアスペースを使うことができてませんでしたね。本来ここを使わせたら世界一のデブルイネに偽9番をやらせてた(すぐ怪我しちゃったし)のと、両ウィングがデュエルでことごとく劣勢だったのと、ギャンドアンがいつもより一個下のポジションだったのと、そういう幾つかの要因が重なって、シティは用意してた形にならなかった。

 後出しジャンケンの結果論だけど、マフレズかシルバのどちらかを外して(この試合の出来を見る限りシルバかなぁ)、アンカーにフェルナンジーニョを入れて、もしかしたらギュンドアンが偽9番でデブルイネがインテリオールでもよかったかも。わかりませんけどね。

 

④カンテで2〜3人分の仕事

 両ウィングバックはスターリングとマフレズに完勝だったし、ハーフスペースもカンテとリュディガーで制圧できてましたね。リュディガーはフィジカルモンスター系のセンターバックで、ありがちな話としてちょいちょいやらかすタイプだったんですが、この試合では最後まで物凄く集中してましたね。あとはカンテ。もともとバイタルでのカバーリングやらせたら世界一なんですけど、それに加えてポジティブトランジションのときには前線に飛び出す仕事もしていましたからね、もう完全に2〜3人分の仕事をしていました。

 もともとシティはネガティブトランジション時には最終ラインが3対3の数的均衡状態ですからね。ボール奪った勢いそのままに4人目のカンテに走られると、なかなか厳しいわけですよ。チェルシーのアウトサイドはマウントとハフェルツというボールもてるパサータイプだし。ジンチェンコ とギュンドアンだとなかなか捕まえきれないんで、そのまま最終ラインまで持っていかれる場面が多かった。カンテはほんとに効いてましたね。

 

⑤結局デュエルの差

 チェルシーの得点シーンでは、カウンターで左アウトサイドのマウントの足元にポールが入ったときに、ヴェルナーが中央から左斜め前(マウントの縦方向)にランニングしてストーンズを引っ張る。これでストーンズとルベン・ディアスとの間に距離が出来て、そこにハフェルツがダイアゴナルに走ったところにマウントから長めのスルーパス

 マウントにはカイル・ウォーカー、ハフェルツにはルベン・ディアスがそれぞれマークしていたけれど、両ウィングとも逆足ですからね。マウントのパスもハフェルツのコントロールも内向きに利き足で出来たんで、マークを剥がし切ってるわけではないんだけど、1対1に競り勝ってシュートまで持ち込めた。

 ハフェルツはバラックエジルを足して二で割った選手と聞いていたけど、確かにそういう感じありますね。左利きでテクニックがあって上背もある。ユーロで活躍すれば一気にスターになるかもしれませんね。

 

 シティの最終ラインの数的均衡はもうとるべきと判断したリスクだったとおもうんで(言うても一点しか取られてませんでしたからね)、デブルイネの負傷というアクシデントはあったものの、結局のところ局地戦でのデュエルでチェルシーが上回った結果なんだと思います。

 若い選手が多いチェルシーのコンディションとモチベーションがシティを上回ったとも言えるし、そもそもグアルディオラのチームには良くも悪くもそういう泥臭さが足りないですよね。後半マウントが足つらせていたような、そういうところがこのシティに限らず、グアルディオラのチームには少ない。その辺りがグアルディオラバルセロナ以外でなかなかCLをとれないところかもしれませんが、まぁそれがクライフイズムだから、それはそれでいいのかもしれません。クライフが足つらせながら必死で走り回ってるところとか想像できませんからね。それも美学ということでしょう。

 

 チェルシーはほんとに選手も監督も持っているもの全て出し切った上での勝利。シティは、こういう戦術や技術だけでは勝てないギリギリのガチンコ勝負を制するには、やっぱりちょっとだけ足りないんだなぁという、そういう印象でした。

 

人類観のコペルニクス的転回(2回目)とピリオダイゼーション一般理論

 あんまり、というかほぼ全く自分の仕事について書いたことがなかったですが、この3月末を以って6年のお務めが終わったんで、我ながら節目だなぁと感じるところもあり、つらつらと思うところを書き留めておこうかと思い立ちました。日記ってそういうものなんでしょう、多分。

 

 別にいま勤めている会社を辞めるわけではなくてですね、所属部門が変わるっていう、ただそれだけと言えばそれだけの話です。

 2015年4月に8人ほどのチームを預かることになり、それから半年毎くらいに兼務が増えていって5チームくらいになって、結局2年前から部門全体、多いときで150人くらいを預かることになり、めでたくこの3月末でそのお務めが終わって、なんだかんだで6年間所属したいまのチームを離れるということなんですが、あれですね、仕事でもなきゃこんなに多勢の人間に関心をもつ機会は一生なかったでしょうね。

 

 それまで中間管理職なんかやったことなかったんで「え、おれ?」って感じで、当時の上司に「これ断れないんですか?」と聞いたら「断れません」と返ってきたんで、「おぉこれがサラリーマンってやつかぁ」と思って、ちょっと面白くなっちゃって、謹んで拝命することとなりました。

 自分なりに大体こんな感じでやろうというイメージはあったものの、当時も今も「わかる奴は説明しないでもわかるし、わからん奴は説明してもわからん」と思ってるんで、もういいやと思って「とにかく言われた通りやれ。それで駄目ならおれが阿呆だったというだけなんだから、ツイてなかったと思え」という感じで始めてみました。

 で、それまで「結局自分でやるのが一番簡単」と思って生きてきたのが、ひとにやらせるのが仕事になって、やっぱりやりながら気づいていったことというのがあるわけです。

 「わかる奴は説明しないでもわかるし、わからん奴は説明してもわからん」というのは少し足りていなくて、どちらかというと「わかる奴は少しやらせると結構わかる、わからん奴は何してもわからん」なのかなと。

 

 最初に考えたチームのコンセプトに「仕事の報酬は仕事」というのがあって、ようは一つの仕事が終わるたびにまた次の仕事の売り込みをして…みたいなことを延々と続けるの嫌だなと。そこにかける労力自体は仕事を取るというところに溶けていってしまうし、そこで余裕を失うと何かをアップデートすること自体が出来なくなる。

 一つの仕事をしたら「それができるならこれもやってくれ」という形で、どんどん仕事が連鎖していくようにしたいなと考えていて、そのために大事なことは予測だなと。マーケットがどうなっていってクライアントはこうだから、次に必要となるのはカクカクシカジカだという予測に基づいてチームデザインをする。局面が変化したときに既に準備ができているというところを目指したいなと。もちろん個としての能力がないと準備ができないんで、そこは個々人の資質や努力に依存しちゃうんですけど、予測があるとリソース自体の無駄が減るんで個の能力に還元されるところはあるなと思います。空振りが減るというか。いずれにしても予測と準備というのは、もともと自分がプランナーだから、自然な発想だったということもあります。

 

 いまチームデザインと言ったけど、これはやりながら整理されていったことで、当初は予測に対するアウトプットが何かというのはあんまり整理されていなかったように思います。

 予測と準備ということはかなりはっきり意識していたけれど、それが結局チームデザインだなっていうところに着地したのは、ここ2〜3年くらいですかね。

 予測というのはどうやったって揺らぎが含まれるのでサービスやプロダクトみたいな考え方をしちゃうと、その揺らぎに対する冗長性みたいなものに限界があるんですよね。それに対してチームデザインということだと、それはもともと揺らぎを含んだ人間の集団なんで、割となんとかなる。そういうファインディングの積み上げですね。

 

 でも、こういうことを最初にバーッと説明して全部理解して自分で考えて行動しなさいとか、ほとんど無理ゲーだと思うんですよ。自分でもやりながら考えている部分もあるわけで。

 でも以前の自分というのは相手にバーッと説明して、なんだできねえなとなって「なんで理解できねえんだよ頭悪ぃな」という感じで、もう相手するのがめんどうくさくなるっていうのを繰り返していたように思います。

 

 なのでもう説明すること自体、理解させること自体をやめようと思ってやってみたら、やらせてみて予測通りのことが起きると「なんでや?」と考え始める奴が出てくる、そいつに局地的な説明をすると、わりと理解して全体像についてもイメージを徐々につかむようになるということに気づいたんですね。

 そこらあたりから、誰にいつどんな体験をさせるかということに凄く神経を使うようになりましたね。あるタスクをやらせてみて「どや?」って話してみて、まだピンときてねぇなと感じたら「じゃあ次これやってみて」、あぁいい感じになってきたと思ったら「じゃあ今度はこれ」みたいな感じで調整していく。

 基本的な予測というのは自分の頭の中にあって、それ自体を全部話すことはほとんどないんだけれども、何かをやらせてみてそこでそいつが何を感じたかで体験設計の調整をする。わりとそういうことで、どういうことがやりたいかみたいなことは浸透していくという感触があったし、そこからのF/Bから自分自身の予測ま修正していく。結局、身体で覚えるということなんでしょうね。

 本人の体験に基づいた裏付けがないとインプット過剰になってマニュアル野郎になったり、やたら教条的というか誰かが言ってたことを連呼するコピペ野郎になっちゃうんだと思うんですよ。不幸ですね。いや幸せは人それぞれですけども。

 

 どうやって全体を部分に分割して、それを体験として配分するかみたいなコンセプトは、サッカーのゲームモデルとピリオダイゼーション理論を一般化できないかなというところから着想したんですけど、面白そうだからもう少し標準化すべきなんだろうなと思いつつ根気が足りません。

 

 そんなこんなで、10年前の自分は「人類の80%は手遅れで何をしてもどうにもならない」と思ってましたが、いまは「人類の80%くらいはやりよう次第ではどうにかなる」と考えるようになりました。もの凄いパラダイムシフトだと思いませんか。

 人間って、当然もって生まれついた資質っていうものがあって、それはもう選べないという意味では運なんでしょうけど、でもそれはほとんどの場合は五十歩百歩の違いしかなくて、ほんとの天才ってそうそういないと思うんですよ。環境要因もガチャっちゃガチャなんですが、少なくとも決定論的になり過ぎる必要はなくて、ある一定以上の可能性は常にある(80%くらいは)というふうに考えた方が組織論的には収穫が多いなと、そういうふうに考えるようになりました。

 言い方変えると80%が一定の水準のパフォーマンスを出すことが大事で、最大多数の最大幸福が大正義というか、でも意外にこれも受け入れられないんですよね。20%のことばかり言い立てて、結局そいつらのせいにしたりしてね。80%がパフォーマンスすれば残り20%の居場所も作れると思うんですけど。

 

 数年かけて進行したんであんまり劇的な瞬間はないんですけど、人類への見方がコペルニクス的転回をする経験したのは、20年くらい前にマサイの選手と2週間くらい過ごして「人類ってこんな垂直に飛べんだ」と度肝を抜かれたとき以来でしたね。

 振り返ってみれば、大体は面白い6年間でした。お付き合い頂いた皆さん、ありがとうございました。