勝つときは汚く 負けるときは美しく

ふと気がつくといつも似たような話をしているので書き留めておきます

コスタリカ戦雑感

 絵に描いたような日本代表の負け方としか言いようがない試合でしたね…

  森保監督のチームって、いつも試合の入り方がフラット過ぎるというか、どういう試合にしようか決めないで始める印象が強いんですよ。それは始まってから選手で決めて、みたいな。この相手だからこうする、みたいなのがなくて、とりあえず自分たちの形で始めて構えるみたいな。

 ドイツ戦も普通に試合に入って、あまりにもコテンパンにやられて、でもなんとか1失点で折り返せたんで博打打ったら当たったみたいな試合で、狙って1失点で凌げたみたいな試合では全然なかった。

 フラットに試合に入るわりに始まってから選手が自分たちの判断で何か変えてる印象もないんですよ。というか、それは試合中に選手だけでやるのは無理なんだと思います。コスタリカ戦はプレスハマんなかったら3バック気味にして相馬がウィングバックに下がるという決め事はあったみたいですけどね。それだけ。

 コスタリカは後がないから来るのかなと思ったら全然来ない。この辺りは滅茶苦茶したたかだなと。スペイン相手だと引いてフルボッコにされたんだけど、日本ならそれで守れちゃうんですよね。7点取られて後でもそこに自信もてるのは凄えなと。もともと堅守速攻のチームですからね。

 選手個々も調子悪かったですね。守田も遠藤もらしくないボールロストが多かったし、鎌田はもうずっと調子悪い。前方へのパスが殆どないし、そもそも中盤の際どいところでボール受ける良さが全然出ない。受けに来ないですからね。なんなんでしょうね。メンタルな問題なのかな。

 日本の選手は適応力があるとかよく言いますが、試合観てる限りはそんなことはないです。三笘入ってから伊藤がなんでパス出さないんだみたいな批判がわーっと出てますが、多分あれサイドですぐ出すんじゃなくて、中盤で縦一回当てて落としてから出すみたいなことをプランで持ってたんじゃないかと思うんですけど、確かにその方が定石なんですが、前線がみんな相手の最終ラインに入っちゃって受けに来ないから中盤は横パスばっかりになっちゃって、だったらもうシンプルにサイドから三苫につけちゃえばいいと思うんだけど。左右に振ってサイドずれさせてみたいな定石は分かるんだけど、相手が何を嫌がってるか考えたら守る必要ないんじゃないかなと。唯一裏取れるのが三笘のドリブルなのは誰がみても明らかなわけだし。

 森保ジャパンに限らないけど、相手が嫌がることをやるっていう意識が希薄なんですよね、日本代表なのか日本人なのか。どう考えても三笘が切り札なのは相手もわかってるから、シンプルに三苫につけられる回数が多くなるのが嫌だったんじゃないかなと。

 サウジアラビアポーランドに負けた試合みて、やっぱり2試合目って体力的に相当きついんだなと。コスタリカが前半から来てるならカウンター狙えるけど、来ないなら押し込んで先制しておいて後半疲れた選手から替えるって考えないと、もう一回そこからギアあげるのは相当つらい。

 ドイツ戦も前半酷かったけど、基本的にノープランで試合に入るっていうのがワールドカップではやはり厳しい。ドイツ戦が偶々博打が当たったんで、全部うまくいったみたいな感じになっちゃったけど、当たり前に個々の試合に対するデザインって必要だと思います。デザインといえばセットプレイも専任のコーチつけたってわりには相変わらずなんのデザインもないですね…。コスタリカにしてやられたとも言えるけど、それ以上に森保ジャパンの欠陥がモロに出ちゃったなと。

 まぁとりあえずドイツ-スペイン戦の試合結果次第で状況がかなり変わっちゃうし、正直いまからスペインに勝つところまで上げていくって、ドイツ戦以上に難しいとも思うんで、なんとかスペインに勝って欲しいとしか…コスタリカに勝ってればこんなことお祈りしなくてもよかったんですけどね…。

ドイツ戦雑感

 結果はみなさんご承知の通りなんで、まずはおめでとうございます。私も日本人なんで感無量です、勿論。

 ハーフタイムで久保くんを下げて冨安を入れて3パックにしたのが大当たりだったので、掌を返したように森保監督礼賛になるんだと思いますが、それまぁちょっと待てよという気はします。

 伏線はあったと思うんですよ。というのは、それまでのアジア勢の試合ですね。イングランドにイランが粉砕された試合、サウジアラビアがアルゼンチンに逆転した試合、オーストラリアがフランスに逆転された試合。

 イランとオーストラリアになくてサウジにあったのは、やはりできるだけラインを高くしてちょっとでも押し返すというロジックだと思います。無理なんですよ、引いて守り切るのは。あいつら相手に。イランとオーストラリアは押し込まれて粘ろうとしたけどフルボッコにされてなす術なく負けた。

 でも押し上げろといっても前が縦パスを閉じてくれないと後ろは下がる。だからロジックが必要で。サウジは少しでも前がプレスかけて後ろ向きにさせたりバックパスさせたり、その度に後ろは物凄く細かいラインコントロールをやって、少しでも押し返すという意識を全員で最後まで貫いた。玉砕覚悟のようにもみえるけど、どっちがリスキーかと冷静に考えたときに、少しでも自陣から遠いところでプレイさせるという選択をしたチームが可能性あると。そういう試合をみせられたあとのドイツ戦。

 正直ね、入り方はあんまりドイツ仕様じゃなかったようにみえるんですよ、森保監督。多分ハイプレスは諦めて4-4-2のミドルプレスで引っ掛けてトランジションで裏返すのが狙いだったんだろうと思うけど、それは日本の平常運転の範囲内。

 ドイツはズーレを右に回してほぼ3バック、左サイドバックラウムをウィングまで上げてムシアラが中に入る3-2-5みたいな形。引っ掛けたときはいい形もあったんですけどね。アメリカ戦の後半とか3パックにプレスがハマらない問題が結局修正されないままドイツ戦迎えてモロに喰らった感じ。

 3バックが自由に球だしするからバイタルにズドンズドン縦パスが入る。ムシアラとかインサイドカットして狭いところで受けて前向けるし、ハヴェルツは最前線から下がってきてパス受けて叩いて裏に走る。ミュラーはあちこちフラフラして局所的に数的有利を作る。ニャブリはドリブルでマークも剥がせちゃう。

 押し込まれてからは引っ掛ける形自体が消えて、跳ね返してはキミッヒに回収されて左右に振られる。ラウムが左でアイソレーションしてるところに長いパス通される。そこに伊藤が後追いで下がらないと最終ラインが枚数足りない。失点はもろにそこ突かれてPK。後ろ4枚で足りないと結局中盤が下がって今度は前が足りなくなる。それでドイツの3バックがフリーになる。

 ドイツが左肩上がりの可変で3バックにするのはよくやる形だったんで、3バックにプレスハマらない問題に対する修正がないまま試合に入ってやられたのは、そこは監督の責任だと思います。2トップでやるにしてももう少し決め事作らないと、なんとなくキミッヒとギュンドアンのところを2トップで閉じに言ってる感じだけど、ドイツはそこ外してCBが自分で前に出れちゃいますからね、誰をフリーにしてどこで誰がプレスにいくか、ハッキリしないのは日本の悪癖。逆にズーレを右に回してハッキリした3バックにしてきたのはドイツの日本対策だったんじゃないかなと思うし、前半では効いていました。優勝候補とそれ以外の差って、CBの技術だなという気がします。昔ならCBはフリーにしても大したことできないから凌げるみたいな感覚があったけど、いまはそこからズバズバ組み立てられちゃう。特にラウムのところのマークがズレるのがハッキリしてからは滅茶苦茶そこ突いてきましたね。

 で、実はそれに対するオプションって日本には辛うじてあったんですよね。それが3バックというか3-4-3で、ラウムのマークが酒井に固定されことで伊藤がドイツのCBにいけるようになりました。3対3でプレスいけるようになったんでドイツがズバズバ縦パス入れるシーンが減ってパックパスも増えて、日本がラインをちょっとづつでも押し上げられるようになりました。

 カナダ戦で辛うじて試したけど、ほとんどやってこなかった3-4-3を後半からやるのは相当勇気がいると思うけど、そこは森保監督の気合いというか、その後に立て続けにアタッカー投入したことも含めて、評価されるべきところ。メンバーの選び方みても3バックのオプションは考えてたんだろうと思います。試す機会が少なかっただけで。

 試合後のインタビューとか読むと、前半我慢してスタメンの選手が限界まで走って交代選手が仕留めるっていうイメージだったらしいから、ゲームプランとしては狙い通りだったのかな。一方のドイツは慌てましたね。選手交代もほとんど意図がなかったし、完全に後手で全くの想定外だったんでしょうね。そりゃそうだ。

 まぁそれもこれも前半で3点くらい取られてたら間に合わなかったわけで、前半を0-1で折り返せたことが本当に決定的でした。なんだかんだPKの1点しか取れなかったわけですからね、ドイツは。ドイツは容赦ないところが恐ろしい一方、傲慢で見下してくるところがあったのに助けられた気がします。前半を最少失点で折り返せたのは、頭のどこかにサウジアラビアとアルゼンチンの試合があったからじゃないかなぁ。ほんと身体張れてましたよね、日本の選手は。

 長友に替わって三笘がウィングバックに入ったけど交代直後は案の定守備するばっかりで意味ねえなと思ったけど、南野が入って鎌田が中盤に落ちてからは見せ場も作って堂安の点に繋がりました。三笘のドリブルが切り札として充分やれるという確信にもなったし。浅野の逆転弾は、あれはスーパーゴールだしスーパートラップだと思います。後ろから来たボールをスピード殺さないように前に落として、そのままボックスに侵入してニア高めを抜いた。ちょっとペルカンプっぽいというか。リスタート早く蹴った板倉の判断も素晴らしい。

 森保監督は最初のゲームプランはよくなかったけど、ハーフタイムとその後の選手交代で大博打を打って勝ったわけだから、ああこういうこともできる監督なんだという印象。その博打でゲームプラン立てて、それをやり切る選手でチームをまとめてきたわけだから、トータルでみれば、ここまでやってきたことの成果というしかない。めっちゃ結果論だけど、結果が全てですからね。名将という感じは正直しないけど。でも3-4-3を隠し玉にして使わなかったなら物凄い策士とは言えるかも。ただCKなんかのセットプレイは大会始まっても全然デザインがないんで、もうちょっとなんとかして欲しい。

 あとね、やっぱり初戦から足攣るくらい走らないと無理なんですよね。3試合あるとか、ベスト8まで5試合とか、そういうのは優勝候補の考えることで、それでもアルゼンチンやドイツみたいに足すくわれることもあるわけだから。

 あとMVPは強いてあげれば権田かな。浅野も堂安も値千金だし、選手個々で言えばみんな頑張ってましたけど。伊藤、鎌田、久保くんとか攻撃の仕事は出来なかったけど、本人の問題というより戦術面のギャップかなと思います。CBと遠藤と田中ももう目一杯やってたし、でもこういう試合ってキーパーが当たらないと絶対勝てない。止められるシュートを止めるだけじゃなくて、止められないシュートを何本か止めてもらわないと無理なんですよね。正直、カナダ戦の権田はハイボール厳しかったんでシュミット・ダニエルの方がいいんじゃないかと思ってましたが、めっちゃ結果論ですが権田が当たってくれないと絶対とれない試合ということでMVP。

 でもまぁほんとに色々理屈こねたところで、勝ったという事実に勝るものはないし、監督も選手もスタッフもみんな凄いですね。ドーハの悲劇から考えたら、まさに隔世の感。ほんとにおめでとうございます。

 ところでムシアラ滅茶苦茶上手いですね。この試合の後スペインとコスタリカの試合も観ましたが、ペドリとガビも滅茶苦茶上手い。このワールドカップ、若手の選手が凄いですね。イングランドのベリンガムとかもパない。往年のヴィエラみたいな感じでしたね。サイズが大きくて動きもダイナミック。

 コスタリカはスペイン相手に引いて7失点。日本との違いは前半で勝負がついちゃったこと。とにかく所謂優勝候補はみんなCBが上手い。前からハメにいく形から逆算して考えないと、絶対にそこからやられますね。相手の並びとのミスマッチを試合中に修正するというところが出来ないと相当苦しい。とにかくビルドアップを少しでも邪魔する、それをやらないと一方的にやられるというのが、ここまでのワールドカップの教訓じゃないかなと。

ガルマ・ザビは坊やだから死んだのか?vol.5

 宇宙世紀に生きる者なら誰でも一度は抱く疑問にガチンコで挑む不定期連載企画【謎解きジオン】。第2回は「ガルマ・ザビは坊やだから死んだのか?」です。

「地球の富と、国土を!」(キシリア・ザビ

 これまでガルマ・ザビ大佐麾下の地球方面軍が、地球に展開した公国軍全体を指すものでもなく、また統合司令部などの上級機関を指すものでもなかったことを確認してきた。

 北米地域の駐屯軍としては同じくガルマ大佐指揮下の北米方面軍が存在したわけだから、本来地球方面軍には北米地域の占領以上の役割を期待されていたはずである。北米は確かにキャリフォルニアベースをはじめとする重要な軍事拠点が存在し、また南米の地球連邦軍本部ジャブローを牽制する上でも戦略的に重要な位置を占めていたが、他の方面軍の2倍の戦力が北米地域に張り付いていたことによって、ただでさえ兵力不足の地球侵攻軍全体の戦線維持に支障を来していた側面も否めない。もしも地球方面軍を即応的な戦略予備として運用できていたら、オデッサ作戦の帰趨などはまた違ったものとなっていたかもしれないのである。だとすれば、結局のところ地球方面軍(及びその司令であるガルマ大佐自身)が本来果たすべき任務は如何なるものだったのだろうか?

 ここで些か飛躍して聞こえるかもしれないが、地球方面軍は本来戦争が長期化したプランBのために用意されたものではなく、コロニー落としによって地球連邦が停戦条約に合意して戦争が早期終結を迎えた場合を想定したプランAに含まれていたのではないかという仮説を提案したいと思う。

 果たして南極条約が戦時条約ではなく停戦条約として結ばれた場合、如何なる内容になっていただろうか。当然公国首脳は条約交渉に臨んでその草案を準備していたはずだが、それは恐らくジオン公国の地球連邦からの独立だけを要求するものではなかったはずだ。

 連邦と公国の圧倒的な国力ポテンシャルの差を考えれば、一度は停戦に合意しても遠くない将来に連邦が戦禍のダメージを回復して再び公国の脅威となるのは目に見えている。また地球圏の総人口の半数を死に至らしめた緒戦の悲惨さを思えば、独立したジオン公国と地球連邦とのあいだの2国間関係が短期で正常化されることも期待し難い。なによりも、数十年にわたり辛酸を嘗めてきた公国国民が、華々しい戦果と多くの犠牲を払った戦争の対価として、より多くのものを求めていたであろうことは想像に難くない。

 それゆえに公国の用意した停戦条約には、地球上の領土の割譲、戦争被害に対する補償、再軍備の制限といった厳しい条件が並んでいたはずで、いずれにしても条約履行の監視のためにも公国軍の地球進駐が最低限の条件になっていたと考えられる。そして、それこそが地球方面軍が本来果たすべき役割だったのではないだろうか。つまり、地球方面軍司令ガルマ・ザビ大佐は地球侵攻軍の指揮官としてではなく、本来は戦争の勝利者進駐軍司令官、あるいは割譲された領土の統治者として地球に赴くはずだった。そう考えれば、地球方面軍司令がザビ家の一員でなければならなかったことも理解できるのである。

 このような人事は、これまで検証してきたジオン公国の政情、とりわけザビ家内のパワーバランスの状況ともよく付合するように思われる。もしも一年戦争を公国の勝利で終わらせることができれば、その最大の殊勲者が戦争遂行を主導してきたギレン・ザビ総帥そのひとであることは疑いない。恐らく終戦によりサイド3におけるギレン総帥の権力基盤は盤石なものとなっていたはずだ。しかしそれは政敵であるキシリア・ザビ少将にとって極めて不快な状況である。だが、もしも一族内で自らと密接な関係にあり、軍組織上は部下でもあるガルマ・ザビが戦後の植民地総督のような立場を占め、連邦との窓口を務めるとすればどうだろうか。従来の根拠地である月に加えて地球をも自分の権力基盤に据え、政敵ギレン・ザビに対峙することも可能となっただろう。オデッサ方面軍や潜水艦隊など、地球侵攻軍とは距離をおいて独自に地球で策動していたのも、来るべき戦後の政争に備えたものだったと考えられる。

 一方のギレン・ザビにとってはどうか。実のところギレン総帥はキシリアを余り評価せず、政敵としての意識は希薄だった。むしろデギン公王の後継者と目され、国民からの支持も高いガルマ・ザビが統治者として地球に赴くことの方に魅力を感じていたのではないだろうか。『優性人類生存説』の著作もあるギレン総帥は、ニュータイプには懐疑的だったものの、本質的にアースノイドを蔑視している。その意味ではキシリア少将よりも正統的なジオニストだった(というよりもキシリア・ザビにはそのような観念的な思想がほとんどみられない)。そのギレン総帥からみれば、人類の生活の舞台はあくまで宇宙であるべきで、地球といえども辺境に過ぎなかった。しかし地球を人類誕生の聖地と見做すエレズムもスペースノイドのあいだでは普及しており、ザビ家の一員であるガルマ・ザビがこれを統治することは、自身の権力への潜在的な脅威を遠ざけつつ、ザビ家の威光を高める理想的な人事だったのではないだろうか。

 こうして公国首脳同士の意志がすれ違いながらも合致して、ガルマ大佐を司令とする地球方面軍が準備されたが、戦局は思ったように運ばず、結果として予定していたよりも大規模な戦力が地球に派遣されることとなった。それに伴い、当初進駐軍として用意されていた地球方面軍も侵攻部隊に編入されたというのが経緯だったのではないかと考えるのである。

 しかしガルマ大佐自身の思惑を慮ることが許されるならば、彼は本来あるべきだった自分の役割を諦めていたわけではなかったように思えてくる。これまでザビ家の一員として出遅れているという焦りがあったガルマにとって、地球の統治者としてザビ家の威光を高めるという使命はこの上なく崇高で魅力的に映っただろう。悲恋として伝わるイセリナエッシェンバッハとの関係も、元を辿れば占領地統治のために元ニューヤーク市長エッシェンバッハと協力関係を結んだことに端を発している。これも戦後に自らが植民地総督として君臨することを脳裏に描きながらの布石のつもりだったのかもしれない。

「私の弟!諸君らが愛してくれたガルマ・ザビは死んだ。 何故だ⁉︎」(ギレン・ザビ

 ここで改めてガルマ・ザビ戦死2日後の10月6日に首都ズムシティで行われた長兄ギレン・ザビ総帥による、いわゆる「国葬演説」を、やや長文になるが重要なテキストなので全文引用しよう。

我々は一人の英雄を失った。しかし、これは敗北を意味するのか?否!始まりなのだ!
地球連邦に比べ、我がジオンの国力は30分の1以下である。
にもかかわらず今日まで戦い抜いてこられたのは何故か?
諸君!我がジオン公国の戦争目的が正義だからだ。これは諸君らが一番知っている。
我々は地球を追われ、宇宙移民者にさせられた。
そして、一握りのエリートらが宇宙にまで膨れ上がった地球連邦を支配して50余年、
宇宙に住む我々が自由を要求して何度踏みにじられたか。
ジオン公国の掲げる人類一人一人の自由のための戦いを神が見捨てるはずはない。
私の弟!諸君らが愛してくれたガルマ・ザビは死んだ。
何故だ⁉︎

「坊やだからさ」 (シャア・アズナブル

新しい時代の覇権を選ばれた国民が得るは、歴史の必然である。
ならば、我らは襟を正し、この戦局を打開しなければならぬ。
我々は過酷な宇宙空間を生活の場としながらも共に苦悩し、錬磨して今日の文化を築き上げてきた。
かつて、ジオン・ダイクンは人類の革新は宇宙の民たる我々から始まると言った。
しかしながら地球連邦のモグラ共は、自分たちが人類の支配権を有すると増長し我々に抗戦する。
諸君の父も、子もその連邦の無思慮な抵抗の前に死んでいったのだ!
この悲しみも怒りも忘れてはならない!それを、ガルマは!死をもって我々に示してくれた!
我々は今、この怒りを結集し、連邦軍に叩きつけて、初めて真の勝利を得ることができる。
この勝利こそ、戦死者全てへの最大の慰めとなる。
国民よ立て!悲しみを怒りに変えて、立てよ!国民よ!
我らジオン国国民こそ選ばれた民であることを忘れないでほしいのだ。
優良種である我らこそ人類を救い得るのである。ジーク・ジオン!

 ガルマ・ザビの死の理由を問うたのは、他ならぬ長兄ギレン・ザビ自身である。そして彼は自らの演説の中ではそれに直接答えてはいない。ただザビ家も多くの国民と同じく家族の死という悲劇を乗り越えて戦っていることを主張したのみである。その問いに「坊やだからさ」と答えたのは、ガルマを死に追い込んだ盟友シャア・アズナブルだった。

 確かに、ザビ家の末弟として生まれたガルマは権勢家の御曹司として苦労を知らずに育ち、その意味で坊やだったことは間違いない。しかし、彼はそれに無自覚なほど暗愚な人物ではなかった。それゆえにデギン公やドズルが将来を嘱望し、ギレンやキシリアにとっても利用価値があった。ガルマはザビ家による暗い統治のなかで公国国民の未来への期待を繋ぎ留める存在であった。それに自覚的だったゆえに、地球に降り立ったガルマ・ザビは侵略者ではなく統治者として振る舞おうとした。それがイセリナ嬢との悲恋という別の結末を呼び込んでしまったのは、確かに甘さゆえかもしれない。しかし鋭く対立するスペースノイドアースノイドとの融和を一年戦争中に模索していた数少ない人物であることもまた事実である。0058年生まれのガルマの世代にとっては、それ以前の宇宙移民の歴史はすでに自らの経験の外にあり、戦後において(もちろん公国の勝利が前提ではあるが)追求されるべきは移民政策の負債の精算であることが意識されていたのではないか。同年齢のシャア・アズナブルにおいても、その革命思想の重心ははスペースノイドアースノイドからニュータイプとオールドタイプの対立へと移っていた。一年戦争を通じて新しい世代は確実に育っていたのである。

「私とてザビ家の男だ。無駄死にはしない」(ガルマ・ザビ

 ガルマ・ザビイセリナエッシェンバッハとの結婚を認めさせるために功を焦っていたこともまた(シャアに煽られたにせよ)事実の一面ではあろう。ことイセリナが絡むとガルマの坊や感は増す。しかしガルマ・ザビが功績に飢えていたこと自体は、単に恋愛感情に基づくものではなかったはずだ。これまでみてきたように、ガルマ大佐の地位は、彼の能力や実績よりも生い立ちに負うところが大きい。誰よりもガルマ自身がそれを意識していたはずだ。イセリナ嬢との結婚も、単に個人的な感情の問題だけではなく、スペースノイドアースノイドの融和という、彼が自らに課していた使命から考えれば、ザビ家の人間として果たさなければならない政治的行為という思いもあったのではないだろうか。

 また最後にガルマ・ザビ大佐の戦死に直結してしまったのが、指揮官としては過剰に前線に出撃し過ぎていたガルマ大佐の血気だろう。これは庇護者でもあり上官でもある姉キシリア少将への配慮から説明されることが多い。しかしキシリア少将もガルマ大佐が自らパイロットとして軍功を上げることを求めていたわけでもないだろう。ガルマ大佐に求められていたのは、ギレン総帥の国葬演説にあるような国民とともに戦うザビ家の姿だったのではないか。だが、名もなき兵卒の心理とは戦場にあってもなんとか生き延びたいという、人間として当たり前の心情である。ルッグン偵察機ホットドッグの機長バムロはペルシア親子のレスキューに向かう際に「ガルマ大佐はまだお若い。俺たちみたいな者の気持ちはわからんよ」と述べている。兵卒からみたガルマ像とは英雄的な指揮官というより、あくまでザビ家の御曹司であり、その意味でやはり坊やだったのだろう。しかし、ガルマ・ザビが選んだ一つひとつの選択は、単に甘さや若さに起因するものとは言い難く、彼がその生い立ちにゆえに課せられた重い期待に応えるべく為されたものとみることはできないだろうか。ギレン・ザビ総帥の国葬演説は、ガルマ大佐が課せられた役割を全うして死んだことを我々に訴えている。ガルマ・ザビは死んだ、何故か?それはザビ家の男として生まれたからだとは言えないだろうか。

 

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2022年11月12日 @SHIBUYA TAKE OFF7

18:45 start

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ガルマ・ザビは坊やだから死んだのか?vol.4

 宇宙世紀に生きる者なら誰でも一度は抱く疑問にガチンコで挑む不定期連載企画【謎解きジオン】。第2回は「ガルマ・ザビは坊やだから死んだのか?」です。

「鷲は舞い降りる!これはスペースノイドにとって大きな飛翔なのである」(キシリア・ザビ)

 地球方面軍司令部が設置されたのは宇宙世紀0079年2月1日、したがってガルマ・ザビ大佐の司令就任も同日と考えられる。その前日である1月31日には南極の国際共同観測都市スコット・シティでジオン公国と地球連邦とあいだの停戦条約交渉が行われたが、周知の如く連邦宇宙軍総司令ヨハン・イブラヒム・レビル中将の「ジオンに兵なし」演説により、交渉は戦時条約(いわゆる南極条約)の締結に留まり、戦争は継続されることとなった。翌日の地球方面軍司令部の設置はこの状況に対応したものであり、さらに1ヶ月後の3月1日には第一次地球降下作戦が発令、公国軍による地球侵攻が開始されるわけだが、当然これほど大規模の作戦を1ヶ月という期間で準備できるはずもなく、地球侵攻は当初からプランBとして用意されていた考えられてきた。

 ジオン公国と地球連邦の国力差を考えたときに公国軍首脳がコロニー落としによる戦争の早期終結を意図していたことは疑いないが、ブリティッシュ作戦が失敗した場合、あるいは成功してもなお連邦が継戦意志を喪わない場合に備えたプランBは必然的に公国軍による地球侵攻がオプションとなる。長期戦になれば、圧倒的な人的・物的リソースと工業生産力を有する地球連邦は必ず戦力を再建して緒戦の劣勢を挽回しにくるはずで、そうなったら国力において劣り、すでに相当の損害を被っている公国には勝ち目がない。したがってプランBはまず地球連邦の資源やインフラ、ロジスティックなどに損耗を強いて自らがそれを確保する戦略が選ばれたはずであり、そのような意図は確かに三次の地球降下作戦の作戦目標にも看取できる。しかしその後の戦局の推移をみると、公国軍首脳部が一貫性をもってプランBを準備していたのか疑問も残る。

 まず第一に挙げられる疑問は、地球に侵攻した公国軍の各方面軍を統合する上級司令部の存在が見当たらないことである。ガルマ大佐の地球方面軍司令部がそれに該当しそうだが、地球に展開した各方面軍には将官級の指揮官も存在し、階級は大佐に過ぎず経験実績でも劣る若年のガルマ・ザビがこれらを統率していたとは、いくら公国軍が柔軟な組織でも考え難い。またガルマ大佐の指揮権の範囲は実質的に北米地域に限定されており、地球方面軍司令部が他の地域の部隊を指揮していた形跡もない。そもそも地球に展開した公国軍の呼称も曖昧で、地球方面軍以外にも地球攻撃軍、地球侵攻軍など複数の呼称が史料上存在している。裏を返せば、そもそも地球に侵攻した公国軍は統合された指揮系統を持たない雑多な部隊の寄せ集めだから全体の正式な呼称も存在しなかったのではないかという印象がある。ここでは便宜上、重力戦線に投入された公国軍の全体を地球方面軍と区別するために地球侵攻軍と呼称する。

 考えてみれば、コロニー国家であるジオン公国にもとから地球侵攻軍のような組織が存在するはずもなく、重力戦線が具体的に計画された段階で各軍から抽出された戦力を再編成した急拵えの部隊のはずである。そしてその作戦全体の指揮を任されていたのはガルマ大佐ではなく、その上官にあたる突撃機動軍司令キシリア・ザビ少将だった。第一次地球降下作戦の発令に際して、キシリア少将は以下のように訓令を発している。

鷲は舞い降りる!これはスペースノイドにとって大きな飛翔なのである。

ギレン総帥は決断されたのだ。ジオン独立戦争開戦劈頭…我々は正義の剣を地球へ打ち込んだ。

然るに、地球連邦の者どもは未だ重力に呪縛され惰眠を貪っている!

総帥はこのキシリアに命じられた…もはや我が腕により正義の鉄槌を下すため重力戦線を形成すると!

真の自由のために、我々は重力の坩堝へ舞い降り地球の自由を約するものであると!

我が第1地上機動師団は、既にして空挺堡を欧州方面に構築し、西方を平らげるべく進軍しつつあり!

 しかしそのキシリア少将自身も地球に常駐することはなく、突撃機動軍司令部のある月面都市グラナダに留まった。したがって実際のところ地球侵攻軍をキシリア少将が直接指揮していたわけではない。地上におけるキシリア少将の影響力は限定的で、資源採掘のためにオデッサ鉱山基地に駐留したマ・クベ大佐麾下の第七師団(の一部)と、諜報やシーレーン攻撃に従事した戦略海洋機動部隊(いわゆる潜水艦隊)だけである。そしてこれらキシリア少将の影響力の強い勢力は地球に展開した各方面軍と積極的に連携することがなかった。連邦軍によるオデッサ作戦で、欧州方面軍(第一地上機動師団基幹)とマ・クベ大佐麾下のオデッサ方面軍が連携することなく各個撃破されたことに象徴されるように、これらの部隊が地球侵攻という作戦目的よりも、キシリア少将の利害に基づいて行動することが多かったからである。

 以前から地上での公国軍相互の連携の悪さは敗因のひとつとして挙げられており、その要因としてこのような公国軍の軍閥的体質とともに、地球方面軍司令ガルマ大佐の戦死が挙げられてきた。しかしガルマ大佐の地球方面軍司令部が地球に展開した公国軍の統合司令部としての位置づけでないとすれば、そもそも各方面軍相互の連携自体があまり考慮されていなかったのではないかと思えてくる。これがプランBが準備不足だったと考える理由のひとつである。

 もうひとつの疑問は、地球に展開した公国軍のリソースが戦争に勝利するためには少な過ぎる点である。史料上、地球方面軍は突撃機動軍第一機動歩兵師団(いわゆるMS師団)を基幹として航空軍などの諸兵科を編号して編成されたとあるが、地球に侵攻した部隊の基幹戦力が一個師団では少な過ぎる。実際に三次の降下作戦で編成された方面軍は5つ、5個地上機動師団に及ぶ。したがって他の方面軍はまた別の部隊から転用されたはずであり、地球方面軍という呼称が地球に侵攻した部隊全体を指すのではなく、そのうちのひとつの方面軍の呼称だったことが窺える。

 もともと公国軍には地球侵攻軍などは存在しなかったわけだから、その編成は3軍のなかから部隊を適宜抽出して行われたはずである。特に宇宙攻撃軍と本国防空隊は、ルウム戦役で連邦宇宙軍の艦隊戦力に壊滅的損害を与えて以降、戦力的なプライオリティは低下していたはずで、地球侵攻に際してはこの方面から多くの戦力が抽出されたと推定できる。公国軍の軍閥的体質を考えれば、突撃機動軍以外の部隊が多く編入されたことも、地球侵攻軍の指揮系統がキシリア少将に統合されなかった一因かもしれない。

 史料上確認できる情報から、地球に展開した公国軍の編成を再現すると、凡そ以下の通りとなる。史料の記載がかなり錯綜しているので類推をかなり含むことをお断りしておく。

■欧州方面軍 司令ユーリ・ケラーネ少将

 ●第一地上機動師団基幹

■戦略資源採掘部隊(オデッサ方面軍) 司令マ・クベ大佐

 ●突撃機動軍第七師団基幹

■地球方面軍 司令ガルマ・ザビ大佐

 ●第二地上機動師団基幹

■北米方面軍 司令ガルマ・ザビ大佐(兼務)

 ●第三地上機動師団基幹

■アジア・オセアニア方面軍 司令ウォルター・カーティス大佐

 ●第四地上機動師団基幹

アプサラス開発部隊 司令ギニアス・サハリン技術少将

■アフリカ方面軍 司令ノイエン・ビッター大佐

 ●第五地上機動師団基幹

■戦略海洋機動部隊(潜水艦隊)

■海兵降下旅団(外人部隊) 司令アサクラ大佐

 ●突撃機動軍海兵上陸部隊基幹

 3月1日の第一次降下作戦では、第一地上機動師団を基幹とする欧州方面軍が中央アジアに降下し、宇宙へのロジスティックの動脈となるバイコヌール宇宙基地を制圧、ここを橋頭堡として鉱物資源採採掘拠点となるオデッサ方面と石油資源採掘拠点となる中東方面に展開した。この作戦目標からも、公国軍の狙いは資源の確保(連邦側からみれば損耗)にあったことが明らかである。オデッサを確保したのちの3月4日にはマ・クベ大佐麾下の戦略資源採掘部隊が降下して本国への資源供給を開始し、欧州方面軍は前衛としてベルファスト方面の連邦軍と対峙する戦線を形成した。

 続く3月11日には第二次地球降下作戦が発令され、同日に北米西海岸の連邦軍基地キャリフォルニアベースと東海岸の都市ニューヤーク近郊に地球方面軍(第二地上機動師団基幹)と北米方面軍(第三地上機動師団基幹)が降下、これらを制圧した。キャリフォルニアベースは、旧世紀の米国カリフォルニア州全域に及ぶ巨大な軍事複合施設であり、連邦軍の地上最大の兵器生産拠点でもあった。またニューヤークは北米地域最大の経済拠点であり、公国軍による制圧後は地球方面軍司令部が置かれた。第一次降下作戦の作戦目標が戦略資源に置かれていたのに対して、第二次降下作戦の主眼は地上での兵器生産体制の構築に置かれていたことがわかる。

 3月18日の第三次地球降下作戦ではインド亜大陸と東南アジア、オーストラリア大陸などの資源確保を目標として、第四地上機動師団を基幹とするアジア・オセアニア方面軍が降下した。この方面はコロニー落としによる被害を最も甚大に被り、比較的連邦軍の抵抗力も弱い正面でもあり、アジア方面に展開した部隊は中央アジアの資源採掘拠点を側面から防衛する役割も担った。

 三次の降下作戦によって連邦軍の抵抗力が低下し、地球〜宇宙の往還路が確保されたことによって敵地への降下強襲という手段をとらずに兵力の供給が可能となり、4月4日には第五地上機動師団を基幹とするアフリカ方面軍と海兵降下旅団(いわゆる外人部隊)を主力とする補充部隊が降下、地中海南岸の北アフリカ大陸方面の確保と欧州・中東方面への側面支援体制を整えた。

 このように公国軍による降下作戦は地球の主要な地域全体に及ぶ広範囲なもので、各方面軍の作戦目標は各地の資源や生産手段の確保(連邦側からみれば損耗)だったことがわかる。これは戦争の長期化を見据えれば戦争継続のための妥当な判断かもしれないが、どのように戦争に勝つかという点においては、どこに意図があったのか終戦まで判然としなかった。

 これまでみてきたように地球侵攻軍の主力を成していたのは5個の地上機動師団である。各方面軍は地上機動師団のMS大隊を中核として必要に応じて航空軍や砲兵、歩兵などを編号して運用された。MS大隊の定数は4個中隊42機とされているので、1個師団あたりの定数は210機。ただし稼働状態にあるのは実質4個大隊だったとも言われている。オデッサ方面軍などの兵力は詳らかでないものの、重力戦線に投入された各方面軍のMS定数は全体として800機から1,000機程度だったと推測される。

 この数字が多いのか少ないのかだが、例えば宇宙での戦闘では、一年戦争で最大の艦隊戦となったルウム戦役に公国軍が投入したMS数は約1,000機、大戦最後の決戦となったア・バオア・クー戦役に投入されたMSは3,000機を超える。対して重力戦線で最大の規模となったオデッサ作戦で公国軍が展開できた戦力は欧州方面軍の第一地上機動師団1個であり、それにマ・クベ大佐のオデッサ方面軍とアフリカ方面軍など各地からの支援が加わっても、実戦投入されたMS数の推定は200機から300機を超えない程度だったと推測される。またガルマ大佐戦死後にキャリフォルニアベースの戦力を基幹にマッドアングラー隊などを加えて実行されたジャブロー降下作戦では、地球連邦軍の本拠地への強襲作戦にも関わらず、投入できたMS数は52機に過ぎなかった。つまり、地球全体に展開されたMSが1,000機前後あったとしても、重力戦線で公国軍がひとつの戦場に集約できる戦力は多くても200〜300機、多くの場合は数機から数十機程度だったということになる。それだけ地球は広大だということでもあり、またロジスティックなどの重力下における部隊運用について公国軍首脳の意識が低かったということをも示している。これがプランBを準備不足だったと考えるもうひとつの理由である。地球侵攻は戦争の長期化に伴って、それに耐え得る状況を生み出す為の対処療法的措置であって、戦争に勝つためのシナリオではなかった。

 

vol.5に続く

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ガルマ・ザビは坊やだから死んだのか?vol.3

 宇宙世紀に生きる者なら誰でも一度は抱く疑問にガチンコで挑む不定期連載企画【謎解きジオン】。第2回は「ガルマ・ザビは坊やだから死んだのか?」です。

「この国には驚くべき事に野党がある」(ダルシア・バハロ)

 ザビ家は宇宙世紀0079年の一年戦争当時、ジオン公国の実権を独占する、一族であると同時に党派だった。その特徴は、この一族の持つ軍事的性格である。当時、家長であるデギン・ソド・ザビ公王を除く全員が軍籍にあり、そのデギン公にしても、第一次革命期にサイド3に駐屯していた地球連邦軍の切り崩し工作を主導し、のちの公国軍の母体となる共和国国防軍を設立した当事者であり、軍事的性格を強く帯びた人物である。ザビ家の権力は行政・司法・立法の三権に及んでいたが、その基盤が軍部にあったということは、ザビ家による統治が軍閥政治と血縁原理との混合体だったことを意味する。しかしダルシア・バハロ首相が「我が国の政治制度は誇っても良い。我が国には選挙があり…議員は全て民意で選択され、公王家と共に政治を行っていく」という言葉通り、ジオン公国は戦時においても民主制としての政体を維持しており、ザビ家あるいはギレン・ザビ総帥による一党独裁と簡単には表現し切れない。

 ザビ家の家長であるデギン公王は当時62歳。自身が権力を掌握した第二次革命以降、急激に政治への意欲を喪い、替わって長男であるギレン・ザビが徐々に実権を拡大していった。しかし全くの傀儡というわけでもなく、重要事項についてはなお形式的にせよ、公王の決裁を必要とした。例えば密閉型コロニー「マハル」の住民を疎開させてコロニーレーザー「ソーラ・レイ」に転用した際の決裁などである。元を辿れば連邦との軍事的対立の路線を敷いたのはデギン公自身であり、ギレン総帥のラディカリズムに強い抵抗感を覚えつつも、それに替り得る指導原理を見出せず、半ば自棄気味に傀儡化していったようにもみえる。その意味で公王という地位自体が法的に有名無実ということではなく、多くはデギン公個人のライフステージの問題と家族間の関係が直接的に権力構造に強く影響した結果と見るべきだろう。

 ギレン・ザビは公国軍大将かつ総帥という地位にあって国家指導全般に渡って極めて強い影響力を持ったために独裁者のイメージが強い。しかし総帥というポジションは字義(日本語だが)から類推すれば、三権の長ではなく軍事面での指導者と解釈できる。恐らくは立憲君主制だったジオン公国軍の形式上の最高司令官は国家元首であるデギン公王であり、ギレン総帥はデギン公の統帥権の総覧者という立場で戦争指導を行なっていたはずだ。その総帥の権力が行政・立法・司法の三権に及んでいた法的根拠は、開戦直前の宇宙世紀0078年10月に施行された国家総動員に基づくものだったと考えられる。地球連邦との開戦が不可避なものとなり、30倍もの国力差がある相手と総力戦を行うとなれば、国家の保てる全てのリソースを戦争遂行の目的に集約していくことが最低限の必須条件となる。そのための法整備が国家総動員令の発布であり、同時に行われた総帥府(通称ペーネミュンデ機関)の設立である。

 総帥府は軍事面では公王の持つ統帥権を代行し、同時に戦時法案を立案して議会に提出する。議会を通過した法案は内閣によって行政化され各関係機関に伝達される仕組みになっていたはずだ。だとすればギレン・ザビは総帥府の監督者として、公国軍全体への指揮権と戦時法案の立案を通じて、法的な手続きに則って委任独裁を実現していたのであって、その点で純粋な暴力に依存した専制や暴政とは異なる。ただし現に進行している総力戦の最中に議会や内閣が総帥府の提出する戦時法案を拒否することが実質的に不可能なことは容易に想像できるので、その意味ではやはりギレン総帥の権力は独裁という評価は免れない。

 またジオン公国軍の特徴として、一般の軍事組織にみられる参謀本部や幕僚会議が存在しないという点が挙げられる。史料上公国軍総司令部という部局はみられるが、一年戦争のどの局面においても主導的な役割を果たした形跡がない。恐らく作戦面での各組織の調整くらいの機能しか有さなかったのではないだろうか。もともと人的資源の乏しい公国軍はスタッフの役割をラインが兼ねる傾向が強く、尉官級の艦長が艦隊司令を兼ねるなどの例はざらにある。参謀本部や幕僚会議などスタッフの機能は総帥府が兼ね、意思決定の多くはギレン総帥と、宇宙攻撃軍司令ドズル・ザビ中将、突撃機動軍司令キシリア・ザビ少将らのラインの長の間で調整されていた。そしてそこでの決定は総帥府を通じて国家統治へと反映されていったと思われる。ギレン総帥直轄の本国防空隊(一般に言う親衛隊)を含め、公国軍はザビ家の兄妹がそれぞれ指揮する3つの軍閥によって構成されていた。その意味では厳密な意味での軍事組織とは言い難く、革命軍あるいは私兵としての性格をまだ色濃く残していたとも言える。つまり戦争指導という契機を媒介して、戦中のジオン公国は3つの軍閥の長の合議体によって運営されていたと見做すことができる。ただし国政との関係は総帥府に集約されており、ギレン・ザビの政治的優位は揺るぎないものでもあった。

 公国軍が制式な軍事組織として3つに分割されたのは総帥府設置と同じく0078年10月。有名な話として宇宙艦隊を主力として主張するドズル中将と、MSを主力として主張するキシリア少将が鋭く対立し、ギレン総帥が仲裁に入ることで宇宙攻撃軍と突撃機動軍に分割されたというエピソードがあるが、ミノフスキー粒子の戦術利用と、それに基づくMSによる戦闘ドクトリンは、国力差のある連邦軍との戦争において勝機を見出す前提条件となっていたはずで、兵器開発と戦術開発は既に0073年ごろから進められている。ゆえにこの開戦目前でMSの有用性が対立の争点になることはあり得ない。ドズル中将とキシリア少将の不仲自体は事実だったので、そこから類推された俗説の類とすべきである。国軍分割の理由は開戦を間近に控えた段階での純軍事的な運用面での事情に求めるべきである。

 MSの実用化以前、コロニー国家であるジオン公国軍は連邦宇宙軍と同じく戦闘艦艇が主力で、国軍分割の時点で7個艦隊を擁しており、それらは以下のように再編成された。

■本国防空隊(親衛隊) ギレン総帥直轄

  第一艦隊 第二艦隊

■宇宙攻撃軍 司令ドズル中将

 ●第一制宙師団(ソロモン方面軍)

  第三艦隊 第四艦隊

 ●第二制宙師団(ア・バオア・クー方面軍)

  第五艦隊 第六艦隊

■突撃機動軍 司令キシリア少将

  第七艦隊(第七師団に改称)

 この編成をみると、宇宙攻撃軍に配備されたのが4個艦隊で最も多い。これはドズル中将が艦艇を重視していたと言うより、作戦領域の違いによるものと考えられる。公国軍の戦略意図では、開戦からブリティッシュ作戦までの一連のシークエンスがブランAであり、連邦軍との武力衝突は宇宙空間を想定していた。連邦軍の宇宙戦力を無力化し、コロニー落としによってジャブローを壊滅させることで戦争の早期集結に持ち込むという即決プランを前提としていたから、ドズル中将麾下の宇宙攻撃軍に求められたのは連邦宇宙軍の艦隊戦力の殲滅である。決戦兵器として期待されたのはMSだが、それを広大な宇宙空間で稼働させるには運用母艦となる艦艇が不可欠であり、艦艇数がそのまま戦場に投入可能なMSを決定する。そもそも公国軍の主力艦艇であるムサイ級軽巡洋艦はMS運用を前提として設計されているのである。そういった用兵面でもドズル中将がMSを艦艇より軽視したという論は成立しない。

 ギレン総帥直轄の本国防空隊はその名の通りサイド3の防衛と、全体の戦略予備と位置付けることができる(実際、末期のア・バオア・クー攻防戦に投入された)として、キシリア少将麾下の突撃機動軍が新たに編成されたのはなぜか。一年戦争初頭の経過をみると、突撃機動軍は宣戦布告と同時に月面都市グラナダを制圧、サイド1・2・4に対するNBC攻撃を行い、ブリティッシュ作戦ではアイランド・イフィツシユ住民の殲滅(いわゆる毒ガス作戦)及びコロニー自体の輸送を任務としている(キリング・J・ダニガン中将麾下の宇宙攻撃軍第二制宙師団がその護衛にあたり、マクファティ・ティアンム中将麾下の連邦宇宙軍第1艦隊と交戦している)。つまり突撃機動軍の作戦領域は宇宙空間ではなく、月面都市やスペースコロニーといった「陸」にあった。恐らく配備された艦隊が一個だったのは戦闘艦艇を用兵上あまり必要とせず、輸送艦揚陸艦などでMSを運用する想定だったのではないだろうか。突撃機動軍が大規模な艦隊戦を行なったのは宇宙攻撃軍と連合艦隊を組んだルウム戦役だけである。比喩的にいえば、宇宙攻撃軍が外洋を主戦場とする「海軍」だったのに対して、突撃機動軍は「陸軍(あるいは旧世紀の米軍における海兵隊)」に近い位置付けだった。配備された第七艦隊が第七師団に改称されたのも、それを反映してのことだったと思われる。ルウム戦役後、ガルマ・ザビは突撃機動軍少佐として機甲連隊を率いてルウムの残敵掃討作戦を担当していたとも言われる(安彦説)。艦隊付きのMSパイロットとしてのシャア・アズナブルが華々しい活躍をみせていた頃、ガルマ・ザビは姉キシリア少将のもとで指揮官としてのキャリアを歩み始めていたのである。

 

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ガルマ・ザビは坊やだから死んだのか?vol.2

 宇宙世紀に生きる者なら誰でも一度は抱く疑問にガチンコで挑む不定期連載企画【謎解きジオン】。第2回は「ガルマ・ザビは坊やだから死んだのか?」です。

「老いてから子なぞつくるものではない」(デギン・ソド・ザビ

 ガルマ・ザビの正確な生年は伝わっていないが、戦没時に20歳とすれば宇宙世紀0059年か0058年の生まれとなる。ここでは0058年として話を進めたい。ガルマ・ザビ士官学校を主席で卒業したという史料があり、これが事実とすれば戦時特例で繰り上げ卒業させるにしても0059年の生まれだと20歳にも届かない計算で士官としては若過ぎると思われるからだ。ガルマ・ザビと同期で士官学校次席でもあったシャア・アズナブルは開戦時に少尉として1週間戦争に従軍しているから0079年中の任官はあり得ないので、卒業は0078年のはずであり、生年は宇宙世紀0058年、享年を20歳とすると10月5日以降の生まれということになる。

 このガルマ・ザビが生まれた宇宙世紀0058年はジオン・ズム・ダイクンが共和国宣言を発し、スペースノイド自治権獲得あるいは独立へと踏み出した画期にあたり(これを第一次革命とする)、当時ジオン・ズム・ダイクンはムンゾ(サイド3)共和国首相として行政の長の地位にあり、側近のデギン・ソド・ザビは議長として立法府の長の立場にあった。

 ここからダイクンが変死する宇宙世紀0068年までの10年間は地球連邦による経済封鎖や軍事的圧力によって、連邦内部での自治権獲得というダイクンの政治目標と、連邦からの独立というデギンの意図が徐々に乖離していく過程でもあった。この期間のザビ家はドズル以下の兄妹たちはまだ幼く、長男のギレン・ザビが15〜25歳で、生年不詳ながら次男のサスロ・ザビとともに父デギンの政治活動の補佐を始めたあたりになる。

 そして0068年のダイクン死去によってザビ家はラル家を始めとするダイクン派との政争に突入し、翌0069年の公王制施行と公国宣言(第二次革命)に至ってサイド3の権力を掌握する。

 この政争の発端は国民運動部長だったサスロ・ザビの暗殺であり、既に長男と次男はデギンの側近として活躍していた。18歳になっていたドズルも0062年に共和国防衛隊から国軍へと拡大された国防軍(公国軍)に入営し、軍人のキャリアを歩み始め、キシリアは若干14歳ながら、公職についた兄たちの穴を埋める形で保安隊などザビ家の私兵的組織を統括するようになっていたらしい(安彦説による)。そして0069年以降はロイヤルファミリーの一員として、それぞれが要職を担っていくことになるわけだが、このガルマとの数年の年齢差がザビ家内における地位、あるいは国民へ与える印象に影響したと考えられる。

 宇宙世紀0069年の第二次革命時にガルマ・ザビは11歳。第一次革命からラル家との政争に至る10年間は年端もいかない子どもであり、その意味でザビ家がサイド3の実権を掌握する権力闘争は経験していない。いわばガルマ・ザビは生まれながらのプリンスであって、ザビ家の闘争過程を身を持って経験した他の兄妹とは生育環境が異なる。これはガルマ・ザビにとっては大きな心理的負担であったと考えられる。

 ガルマが物心ついた時点でザビ家は特権階級であり、また正妻の唯一の子でもあったガルマは、ある意味自らを証明する必要がないのに対して、他の兄妹は自分の能力を証明することによってザビ家内部の地位をそれぞれ確立してきたのである。本質的に保守的なデギン公を家長としていても、革命政権の中枢であるザビ家は非常に能力主義的な家風でもある。その点でザビ家の権力確立になんら貢献していないガルマに焦燥感のような感情があっても不思議ではない。

 ガルマ・ザビの4つ違いの姉であるキシリア・ザビも、そういう意味では出遅れによる焦燥感に駆られていたようにみえる。ギレン・ザビと同母という仮説が正しいとすれば、キシリアとギレンの政治的立場の違いは11歳の年齢差にある。長じれば僅かな差かもしれないが、ザビ家が権力を掌握する過程で15〜25歳だったギレンと4〜14歳だったキシリアの実績の差は大きい。ギレン・ザビが政治家、ドズル・ザビが軍人としてキャリアを積んでいったのに対して、キシリア・ザビが諜報分野を選んだのは、ザビ家が権力を拡大していく過程で生まれた闇部を継承することで他の兄弟とは異なる独特な立場をザビ家のなかで確立しようとしたのではないか。

 そのような同じ出遅れ組として、また年齢がいちばん近い姉弟として、キシリアはザビ家でガルマと最も濃い関係にあり、またよく知られているようにガルマ自身もつねに姉の視線を意識していた。軍組織においてもガルマ大佐は突撃機動軍所属で、司令であるキシリア少将の部下にあたる。

 一年戦争時には公国の実質的指導者だったギレン・ザビを明確に政敵として意識していたキシリアにとって、デギン公王の後継者と目されるガルマは重要なカードの一枚だったはずだ。のちにシャア・アズナブルキャスバル・レム・ダイクンだと判明したときに、ダイクンの遺児を政治的カードとして懐柔しようとした発想とよく似ている。恐らく実権はともかくとして、政治家や軍人としての華々しい実績に欠ける自分が国民統合のシンボルにはなりにくいことを自覚していたのではないだろうか。

 似たような思考でギレン・ザビも周囲がガルマをデギン公の後継者と認識するのを黙認していたと考えられる。ギレン・ザビの権力はいわば地球連邦からの独立を政治目標とした例外状況における委任独裁として正当化され、また国民から支持されていた。0069年の公国宣言以降、急激に政治への関心を喪っていくデギン公に替わり、連邦の圧力に屈せずジオン公国の国力を拡大していったのはギレン総帥の卓越した手腕に負うところが大きい。それは国民の支持の源泉だったはずだ。しかしそれはあくまで独立という目標に対する例外状況であって、国民もギレン総帥による権威主義的な体制が永続することを望んでいた訳ではないだろうし、ギレン総帥もそこを敢えて曖昧にすることで自分の権力に対する大衆的支持を維持しようと考えていた、そのためにはガルマ・ザビデギン公王の後継者と期待されている方が都合がよかったのではないだろうか。

 実際のところ、ギレン総帥が戦後の体制をどのように構想していたかは当人が戦死してしまったので分からないものの、公国貴族トト家の養子に入り、第一次ネオジオン戦争ハマーン・カーンに叛乱を起こしたグレミーは実はギレン・ザビのクローンとも言われており、最終的にはザビ家をも解体してギレ自身のクローンによる永続的な完全独裁というラディカルな体制を考えていたとも言われている。全ては歴史のifに属することである。

 このようにギレン総帥もキシリアも国民からの支持という点ではネガティブなイメージが付き纏うのに対して、ガルマ・ザビデギン公の寵愛を受け、正妻ナルスの唯一の子であり、また革命や政争に纏わる暗い過去もない、理想的な後継者たりうる条件を備えていた。違う表現をすれば、ガルマの出遅れは当人の意志と関わりないところで、国民統合のシンボルとしての公王の条件にポジティブに働いており、それは当時の状況では周囲の思惑にも合致していたのではないだろうか。

 のちにデギン公はガルマ・ザビが暁の蜂起事件で連邦駐屯軍と交戦した際にその身を案じて「おまえは学者にでもすればよかった…」「老いてから子なぞつくるものではない」と嘆いた。老練な政治家だったデギン公には、ガルマが兄妹たちに対する出遅れを挽回すべく気負えば気負うほど、周囲の思惑に乗せられていくことが予見できていたのだろう。またそれが理解できないガルマであるが故に余計に愛おしくもあったのだろうと思う。そしてそういうデギン公の感情が、国葬におけるギレン総帥らとの確執に繋がっていく。

 

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ガルマ・ザビは坊やだから死んだのか?vol.1

 宇宙世紀に生きる者なら誰でも一度は抱く疑問にガチンコで挑む不定期連載企画【謎解きジオン】。第2回は「ガルマ・ザビは坊やだから死んだのか?」です。

 

「坊やだからさ」(シャア・アズナブル

 ガルマ・ザビ大佐(階級は当時。以下同)の戦死は宇宙世紀0079年10月4日、享年は20歳。その国葬の中継映像を観ていたシャア・アズナブル少佐の科白が印象深いエピソードになっていくわけだが、実際のところ坊やだから死んだとはどういうことか、あるいはガルマ・ザビは坊やだったのか、そもそも坊やとはなにを指すのか。

 戦史の視点からみれば、宇宙世紀0079年10月は公国軍による三次の地球降下作戦が実行されてから半年余りが経過し、重力戦線が膠着状態に陥っていた時期にあたる。ガルマ大佐の戦死が約1ヶ月後の連邦軍による大反攻作戦「オデッサ・デイ」へと繋がっていくという点で、一年戦争におけるミリタリー・バランスに大きな影響を与えた事件といえる。

 当時のガルマ大佐は地球方面軍司令として2個地上機動師団を指揮下に置き、地球連邦の政治的中枢である北米大陸の占領軍政と軍事的中枢である南米ジャブローの監視、さらには地上最大の兵器生産拠点キャリフォルニア・ベースの管理という重責を担っていた。

 艦載MS3機の単艦編成、しかも非正規部隊である木馬との局地的な交戦で方面軍司令級の指揮官が戦死するということ自体が多分に偶発的な要素を含んでいるわけだが、そこから国葬演説を経てオデッサ作戦、そして地球連邦軍による大規模反抗へと連鎖的に展開した戦局は、ある意味ジオン公国におけるガルマ・ザビの存在の大きさを逆説的に物語っている。その意味で、坊や説をガルマ大佐個人の人格的な資質だけに還元することなく、多角的な補助線を引くことによって、当時のジオン公国の置かれていた状況に新たな視点を加えることができるかもしれない。

「親の七光りで将軍だ元帥だなどと国民に笑われたくはありません」(ガルマ・ザビ

 坊や説の前提を成す議論としてガルマ・ザビの政治的位置について、いわゆる親の七光り問題がある。

 若干20歳、しかも大佐という階級で地球方面軍司令というガルマ・ザビの特殊な立場は、当然のことながら公国を指導するザビ家の一員であるという事実を抜きにして考えることはできない。公国軍は連邦軍に比較すると階級と職掌の関係が柔軟で、例えばオーストラリア方面軍司令ウォルター・カーティスなども階級は大佐だった。しかしオーストラリア方面軍はアジア・オセアニア方面という広大な地域を担当した第4地上機動師団のオーストラリア駐屯軍に過ぎず、規模的には旅団程度だったと考えられるのに対して、地球方面軍司令ガルマ大佐の戦力は5個配備された地上機動師団のうち第2・第3を含む地上戦力の4割に及んでおり、地上において掌握しているリソースは将官クラスの指揮官を凌駕していた。

 実際、ガルマ大佐自身が父であるデギン・ソド・ザビ公王に宛てた私信のなかで「親の七光りで将軍だ元帥だなどと国民に笑われたくはありません」と心情を吐露しており、大佐でありながら将官級の指揮権を与えられていた自らの地位をザビ家の一員としての特権的待遇ととられかねないと強く意識していたことがわかる。

 しかしザビ家の係累は実質的国家指導者である長兄ギレン・ザビ総帥が35歳、次兄である宇宙攻撃軍司令ドズル・ザビ中将が28歳、姉の突撃機動軍司令キシリア・ザビ少将に至っては24歳であり、ガルマ大佐の20歳とそれほど隔たっているわけではないにも関わらず、各々要職を占めている。そもそも孤立したコロニー国家であるジオン公国は、その厳しい環境的・政治的条件ゆえに極めて能力主義的な社会であって、その意味で年齢・性別などによるディスアドバンテージの意識は希薄である。ガルマ大佐を坊やと評したシャア・アズナブルも同じ20歳で国民的英雄となったのである。若くして活躍することはスペースノイド社会では歓迎されるべきことであって、年齢の若さをもって親の七光りということは妥当ではない。

 そもそも宇宙世紀0069年の公王制施行自体がザビ家という血縁集団への権力の集中による国家指導の安定した一元化を目指したものであって、それは一年戦争に至るまで国民の支持をある程度受けてきている体制なのだから、ザビ家の一員が、それを根拠に要職を占めること自体を指して親の七光りということもできない。したがって親の七光り問題は年齢や出自に単純に還元できるものではない。

「我々はガルマ・ザビを失った時に、未来を失したのだよ」(ダルシア・バハロ)

 ザビ家内部におけるガルマ大佐の位置について、これまで余り問題にされてこなかった点がある。それはガルマ・ザビデギン公王の後継者と(暗黙理に)思われていたらしいことである。

 例えば戦時下にあって国葬が行われたのはガルマ大佐だけであって、例えば(戦況は違うが)同じザビ家の一員であるはずのドズル中将が戦死したときとは明らかに待遇が異なる。またそのドズル中将自身もガルマ戦死の報に接して「あやつこそ俺さえも使いこなしてくれる将軍になるものと楽しみにしておったものを」と嘆き、将来的にガルマ大佐が自分より上位者となるはずだったことを暗に示唆している。

 また公国首相ダルシア・バハロは連邦との和平交渉に踏み切った際に「我々はガルマ・ザビを失った時に、未来を失したのだよ」「それがどんな未来だったのかもはや知る術はないが…あの若者が死んだ時、我々は確かに未来も失くしたのだ」と副首相オレグに洩らしている。

 このような公国上層部の意識は国葬でみられたガルマ大佐の国民的人気をも反映しており、全体としては半ば公然とデギン公王の後継者はガルマ・ザビというコンセンサスが国内に共有されていたと見做してよいと思われる。

 しかし客観的にみればこれは奇妙なことでもある。当時の公国の実質的指導者は紛れもなくギレン・ザビ総帥であって、その意味では国家元首であるデギン公王の後継者はギレン総帥で既成事実化されていたはずだ。ガルマはザビ家の第4子に過ぎず、2人の兄と姉が各々要職にある。ギレン・ザビには実子がいなかったらしいが、それだけでガルマ・ザビの後継が必然とはならないだろう。現に戦後ザビ家の系譜はドズル中将の実子であるミネバ・ラオ・ザビ公女に受け継がれているのである。つまり、ガルマ・ザビの位置の特殊性というのは、もう少しザビ家内部の事情に踏み込んで考えてみる必要がある。

「ザビ家のみがこれからの歴史に責任を負うのだ」(デギン・ソド・ザビ

 デギン・ソド・ザビには複数の妻がおり、ザビ家の兄妹の家族関係については諸説あって定説をみないが、ガルマ・ザビの生母がナルス・ザビであるという点については史料上一致している。ナルスはガルマを産んだのち間もなく死亡しており、ガルマは母親を知らずに育った。

 諸説入り乱れるなかでは、ギレン・ザビの生母も早くに亡くなっており、それが彼の人格形成に影響しているという説、またドズルは妾腹の生まれで、それ故に兄妹間でもやや立場が弱く、デギン公の態度も冷淡だったという説、あるいはキシリアの母親をナルスとする説、ドズルとサスロの母親をナルスとする説もあり、生母ナルスの面影を濃く残すガルマをドズルが溺愛したなど、さまざまな説があり結論をみない。

 ガルマ以外の兄妹の生母については詳らかではないが、それぞれ母親が違うとする説もあり、だとすると父親を同じくしながらも別々の母親のもとに生まれたという家族内の関係は兄妹間の立場の違いに影響を与えた可能性はある。

 ナルス・ザビとデギン公の閨閥については分からないことが多く断定は難しいが、ここではガルマ・ザビだけがナルスの子、ギレン・ザビキシリア・ザビは前妻の子、ドズル・ザビと夭折したサスロ・ザビは側室の子という仮説を提案したい。

 根拠としては、ガルマ・ザビは最後の正妻ナルス・ザビを唯一生母としている点において他の兄弟と異なる地位にあったと考えるからである。キシリアを前妻の子とすると少なくとも宇宙世紀55年ごろまでは前妻は存命だった計算になり、死亡時のギレンの年齢は11歳前後となる。恐らく、生母を同じくするギレンとキシリアは、前妻の子であるという点において、ナルスとの再婚とガルマの誕生によって複雑な立場に立たされたのではないだろうか。本来であれば年齢的にも実績的にもデギン公王の後継者たり得る資質と資格を持ちながら、ガルマとナルスを溺愛するデギンに対する保身として、ギレンもキシリアもその野心と自負を抑制せざる得なかったと思われる。サスロとドズルを同母と推定したのは風貌が似ているからである。

 それでも、ガルマ誕生前後のザビ家はまだ有力ではあるけどもダイクン家の支援者の一つでしかなく、家長の地位自体が国家権力と直接結びつく状況ではなかった。問題は公王制の施行によって、ザビ家の家長が公王という国家元首の地位と直結することによって深刻になった。ザビ家という家族内での序列がそのまま国家権力内の序列と一致してしまうからである。ザビ家がラル家との政争に勝利して権力を掌握したときに、デギン・ソド・ザビが洩らした「ザビ家のみがこれからの歴史に責任を負うのだ」という言葉が、ガルマ・ザビに末弟という立場以上の重みをもってのしかかってきたのではないだろうか。

 

vol.2へ続く

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2022年11月12日 @SHIBUYA TAKE OFF7

18:45 start

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