さて、今川義忠が遠江での抗争で戦死した文明8年(1476年)には、まだ龍王丸の幼名を名乗っていた氏親は3歳(5歳説もある)で家督を継ぐには幼すぎた。このため、朝比奈氏や三浦氏といった譜代家臣が今川氏庶流の小鹿範満を擁立し、駿河守護の座を龍王丸派と…
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