勝つときは汚く 負けるときは美しく

ふと気がつくといつも似たような話をしているので書き留めておきます

生誕500年祭なので今川義元公のいいところ挙げてく①

 まず家柄がいい。

 

 御所(足利将軍家)が絶えなば吉良が継ぎ、吉良が絶えなば今川が継ぐ

 

 つまり今川氏は足利将軍家の継承権を有する一族ということである。これは天文22(1553)年『今川記』記載の記事だが、なにか室町幕府にそういう決まりがあるわけではなく、足利尊氏が遺言でそう言い残したと今川氏で伝承され、それを採録したということらしい。

 この僅か7年後に義元公は桶狭間で無念の敗死をするわけだが、天文年間はまさに今川義元公の治世にあたり、今川氏の最盛期と言っていい時期である。我が世の春を謳う名門今川氏の自負の表現と言える。

 

 継承権云々は歴史的事実というより家伝の類の話だが、今川氏は紛れもなく足利氏の一族である。

 正確には足利将軍家の御一家吉良氏の分家が今川氏で、吉良氏というのは忠臣蔵に出てくる吉良上野介の、あの吉良である。

 

 足利氏の分家は三管家の斯波、細川、畠山を始め有力な氏族がいくつもあるが、吉良氏はそのなかでも別格とされていた。

 斯波氏、細川氏などは幕閣の最高位である管領職を相伝して数カ国の守護を兼任するなど大きな権勢を誇ったわけだが、当時の家格意識では管領職にせよなんにせよ役職に就くということは家臣扱いということで、分家の中でも特に家格意識高い系の吉良氏は、室町幕府が安定して以降は一門扱いの式評定衆という名誉職だった。

 実際、吉良氏は草創期から南北朝期にかけては何度か守護職引付頭人などの実務方を務めたが長続きせず、他の足利一門のように勢力を伸ばせなかった。実力的には鎌倉時代から南北朝、戦国期を通じてほぼ一貫して地方領主程度の規模しかもたず、同族内で内紛ばかり起こしては今川氏や徳川氏に従属したり反抗したりしていた弱小豪族の域を出なかったのである。

 のちに徳川家康に家名を惜しまれて旗本に取り立てられ、幕府の儀式・典礼を司る高家を務めるようになり、紆余曲折を経つつも実に明治維新まで生き残る。

 吉良上野介浅野内匠頭に殿中作法を教えるときに苛めすぎて刃傷沙汰になったのも吉良氏が高家を務める家柄だった故である。

 かように吉良氏は家格の高さだけで鎌倉時代から実に600年存続した稀有な一族なのである。超おもしろくない?

 

 吉良氏の話ばかりで全然義元公に辿り着かないが、おもしろいのでもう少し吉良氏の話を続けたい。なぜ吉良が別格かというと尊氏より約150年ほど遡る足利義氏というひとが承久の乱の勲功で三河守護に補任され、その庶長子の長氏が義氏から三河吉良庄という荘園の地頭職を相続して吉良氏の祖となった。吉良庄はもともと摂関家領として一条家九条家相伝されていたが、いわば承久の乱に勝利した武家勢力に横領されたわけである。

 さて側室の子である長氏が吉良氏を興して三河足利氏の筆頭となり、正室の子だった弟の泰氏は足利氏嫡流を継いだため、宗家の兄筋から分かれた家ということで吉良氏は別格となったということらしい。

 足利氏が幕府を開くと同じく足利一門の渋川氏、石橋氏とともに御一家となり、管領と同格、その筆頭の吉良氏は管領より上位とされて宗家断絶の場合は将軍職の継承権を有する家柄とされた。

 いわば万が一嫡流が途絶えた場合に血統を維持するためのストックとして指名された一族であり、機能としてはのちの江戸幕府御三卿に相当する。

 幕末、最後の将軍となった徳川慶喜御三卿のひとつ一橋家の出身で、水戸徳川家を継いだ後に将軍家を継承している。

 徳川一門には水戸家、尾州家、紀州家の御三家があったわけだが、御三家はそれ自体が100万石の格式の大名でもあり、その継承問題は宗家に準ずる重大事だったから、将軍家と御三家双方への後嗣の供給源として御三卿が設置された。

 とかく将軍家にせよ御三家にしろその当主は強大な権勢を誇るわけで、その継承問題が拗れると深刻な御家騒動に炎上しかねない。なので、ストックには政治的に中立で軍事的・経済的に非力な方がなにかと話がまとまりやすい。御三卿は10万石クラスの大名だが、当主は従三位まで叙位されるので家格は高かった。室町幕府における吉良氏も似たような地位にいたと言える。

 斯波氏、細川氏なんてのは管領として将軍家以上の権勢を誇ったわけで、そんな家に嫡流を継がせたら乗っ取られるに決まっている。それは誰にとっても宜しくない。その点、吉良氏は幕閣としては式評定衆という名誉職で実質的な権限がなく、領地は三河の一荘園の地頭どまりで打って付けの存在なのである。

 継承権があると言っても宗家にも当然兄弟やらの候補はいるわけで、実際吉良氏から将軍候補が立ったことなぞ一度もなく、ただただ家格の意識だけ高い系で絶えず一族で内紛を抱えていた弱小氏族、それが吉良氏。

 

 そしてその吉良氏から颯爽と今川氏が登場し、東海一の弓取りと称された戦国の雄、今川義元公を輩出するのである。

 

(続)

 

銅像設置決定!今川義元公の銅像をみんなと一緒につくりたい! - CAMPFIRE (キャンプファイヤー)

 

今川義元 (人物叢書)