勝つときは汚く 負けるときは美しく

ふと気がつくといつも似たような話をしているので書き留めておきます

五位の話

今昔物語集』に利仁将軍というひとの五位の話という故事があって、芥川の『芋粥』の元ネタでもあるんですけども、地方を旅する度に思い出すんです。

 

利仁将軍は藤原利仁といって中級公家の子で、俵藤太こと藤原秀郷と並んで藤原流武家の元祖的なひとなんですけども、上総介など受領(現地赴任の地方官)を歴任したあと北陸に根を下ろして豪族化するんですね。10世紀くらいになると藤原氏でも摂関家などのエリート家系以外は中央では就職難だったらしく、傍系子や三男坊四男坊は地方公務員になったあとにそこにそのまま棲みつくというケースが増えてきて、これが武士の起源のひとつになるわけです。

 

五位の話というのは、もうこの当時は税収が減少して官僚の給料も滞るようになっていたので、五位という都の役人が芋粥がいつか腹一杯食べたいと嘆いていると利仁将軍が敦賀に呼んで大鍋一杯の芋粥を馳走すると、そういう話です。


この官僚の位階が五位なんですが、これは大体地方の長官(国司の最上級)が五位くらいなんで、豪族の利仁からするとやや身分が高い。にも関わらず富という点からすると地方に土着した利仁の方が遥かに豊かで、『今昔物語集』としては、そういう都に対する地方の富強を世相として描いたんだと思います。

 

中央で職にあぶれた子弟が地方に流れる背景には、消費の機能しかない都市と富の生産地としての地方という構造の中で受領というのがその流通を独占していて非常に旨味があったという事情があると。


受領の仕事というのは大まかには①徴税②勧農③荷役の3つがあって、①については律令制の建前からいうと生産基盤の公地と労働力としての公民は別々に管理されていて、6年ごとの造籍で世帯ごとの労働人口を把握して公地の分担を決めて納税させるんですが、この戸籍を作る作業が大変ですぐ頓挫する。


一方、公民からすると耕した土地は家族が減ると他人のものになったり、逆に故人の分まで納税義務があったりするので、農業技術の改良とかの動機付けにならない。なので三世一身の法とか墾田永年私財法などで、開墾地の所有をみとめた(納税義務はある)。


そんなこんなで人口動態の把握からの課税が難しくなったので、ざっくり国単位で課税額を決めてそれを受領に請け負わせるようになり、そのために現地赴任する受領にいろいろな特権を認めた。たとえば開墾地の私有を認可するのは受領の特権だし、課税単位になる耕地の測量とか、出挙といって元本になる稲を半強制的に貸し出して作物から利稲という利息をとる一種の金融業もしていた。

 

また②の勧農というのは、文字通り農業の振興ということで、受領は自らも休耕地や荒地を開拓して積極的な農地経営の主体でもあった。要するに徴税吏であると同時に高額納税者でもあり、自分の任期が終わると縁者などに農地の経営を受け継がせて資産を増やしていった。

 

律令の税制では産業策が非常に農本主義的であったにも関わらず、建前上は貨幣や繊維などでの納付も義務付けられていた。といっても貨幣や商品の全国的流通というのは全くなかったので、全部都に運んで銭に替えたり他の品物に替える、だから③荷役も受領の仕事となった。納税者からすると都のレートがわからないので、ここも受領のやりたい放題。

 

受領は任期の最初に決められたノルマを徴税しないと考課という査定に響くのであの手この手で税金を集めていたのだが、都に運ぶ途中でノルマの徴税額が集められなかった他の受領に強盗されたりするようになり、そのうち運ぶ気もなくなって「強盗されました」という報告だけ上げて横領したりするようになる。

 

そんなこんなで受領というのは一大消費地の都と富の生産地である地方を媒介する存在として財を蓄積していく。面白いのは都は富の集積地であるにも関わらず、その住人である貴族には経営という概念が全く未発達で必要な物資を地方から引き出してただ消費するだけだったことで、富を経営して増殖させる商業資本の萌芽というのは都と地方を媒介した受領層のちの武士にみられること。

 

なぜこの利仁将軍の故事を思い出すかというと、地方は飯が美味いなあと思う度に、やはり富の生産地というのは実は豊かで、利仁将軍の頃とあまり変わらないんじゃないかなと。自分と五位が重なるというか、気分的には。反面、利仁も都の人で富を集積しているのは彼な訳だから、実は利仁将軍の方が近いのかもしれないとも思うのです。